ファウスト賞に送るメリットがあんまりないというのは、当たり前な帰結として“歴史がないから”となるわけですが、この“歴史”という言葉は二種類に意味が分かれます。
それは“今まで”と“これから”です。
一、今まで
これは簡単ですね。 初めての賞だから全く実績がないという事です。
そして、初めての賞であるゆえに、賞の色というか特質が全く分からないという事です。*1
「ファウスト誌」の醸し出す雰囲気がファウスト賞の特質ではないかという事もいえなくもないですが、あれは「メフィスト賞」作家の特質が多分に出ているので、これがこのまま「ファウスト賞」の特質とはならないでしょう。*2
後、ちょっとした事では有りますが、版型や装丁などがどのようになあるかも分からないというのもあります。*3
すなわち、過去がない。
これはまあ、はじめの第一歩なのだから当然のことではあります。
二、これから
ファウスト賞最大の問題はここです。
仮にファウスト賞にノミネートされて、賞を取る人が出たとして、
さて、その人は“これから”どこで作品を発表するのか。
つまり、「ファウスト賞」用のレーベルが存在しないという問題があるわけです。*4
一応発表の場として「ファウスト誌」が挙げられます*5が、今の所不定期刊行の綱渡り運転な雑誌であることを鑑みれば、(新人にとっては)大層不安な出だしになります。
講談社ノベルスとして出す事も可能かもしれませんが、せっかく(一応)新しい事するにしては、その選択はあまりに平平凡凡であり、今ひとつインパクトに欠けます。
ならば新規でレーベルの立ち上げを行うとなるわけですが、いきなり新人ばかりなのはあまりにリスキーというか死にに行くと同義です。
発表の場のもさることながら、“これから”「ファウスト賞」の示す方向で食っていけるのか、という事もあります。
第一回にて大体の方向が決まると思いますが、そうして決まった方向の物で食っていける作家を生み出せるかという点もまだ分からないわけです。
つまり、未来が見えない。
一、二の点から、過去と未来が見えない「ファウスト賞」に送るメリットは0に近い、と結論するのです。*6
しかし、こういうないない尽くしの絶望的な逆境(言い過ぎ)だからこそ燃える人もいて、そしてマイナス方面の負荷が大きければ大きいほど、その負荷を振り切った物には凄まじい力が宿る事もままあるわけであり、ここからいかなる物が飛び出してきてしまうのかと思うとそれはそれは楽しみであります。*7
はてさて。
なんとなくでこんなよくわからんものを書いてしまいましたが、
「ファウスト」を落としたいのか上げたいのか、結局自分でも良くわかっていません。
ただ、これが面白い事になるなら楽しみたい、というのだけは確かです。*8
己が“かんせい”が面白いというものを探し回り走り回り歩き回り、ただただ己がペースで面白がりたいだけなのですきっと。*9
つまるところ、私はハイエナなんかな〜。