ヤスいのガタいの、ごちゃごちゃと言ってみる

いちせさんのこちらより始まった「ライトノベルは読み難いか」ですが、いきなり極論すると読み物は「読める」から読み物なので、ある程度難しいのは当然です。
ここで言う「読める」とは、「正しく読む」という観念レベルじゃなくて、「その文字が読める。 文章として理解できる」という根本の部分、読書技術の部分であります。 たとえば、私は日本語はそれなりに“読める”のですが、英語になるとそれはかなり危うい。 フランス語なんてまるでからきしです。 そうなると私にとっては日本語の本は“読みやすく”、英語は“読みがたい”と言うことになります。
また、同じ日本語でも「古語」に分類される文章は私にとっては“読みがたい”。 それが明治大正の頃になればなんとか“読める”。
はたまた現代文とされるものでも、書体によってはまるでちんぷんかんぷんなものもあったり、人の手によって書かれたものなら崩した文字を書く人もいるのでそういうのも“読みがたい”。 自分の字は、汚くても“読みやすい”という場合もあります。
つまるところ、どこを基準点にするかで「やすい」と「がたい」が決まるわけで、その“基準点”に統一規格があるわけではないゆえに、この問題は個々人の判断にゆだねざるをえない。 もっとさっくりいえば「人によりけり」で「読み難さ」が決まってくる。
結局は読む人の読書経験次第ってことでしょうかね。
ああ、ちなみに。 私はライトノベルを読み難いと思う時は、今はそんなにありません。 昔は「SF」は読み難いと思ってましたけど、慣れたらそうでもなくなりましたし、そうなるとやっぱり“慣れ”が重要な事例なのかもしれません。
他に、「絵があるという事」という見方もありますが、それは誰か書いてくれるでしょう。 つーか静観。