メモ的思考

だらだら。 前にも似たような事を書いたけれども、ライトノベルを読む人にとってとかく「商業批評」が嫌われる傾向にあるのは、ひとつにはそれが持つ「評価」という部分よりもそれの負の部分―とは一概に言い切れないけれども―とでも言うべき「権威」を嫌うからではないかと思う。
それともうひとつ。 「商業」によって付随される「欲」を嫌うという側面もあろう。
ちょうどいい言葉があったので、ひとつ引用。
金原瑞人「大人になれないまま成熟する為に」(ISBN:4896918568)より。

若者文化ともちあげられ、大人たちの欲得ずくの目に曝される一方で、その大人たちから、いわれのない悪罵を受けている彼ら(注:若者)の窮状を、(後略)(p49)

で、つまるところ、「若者文化としての―そして日本版ヤングアダルト文学とでも言うべき―『ライトノベル』を大人が認めることによって格を上げてあげよう。」という権威の臭みと、「ここはひとつ、ライトノベルを取り上げてみよう! 儲かってるらしいし!」という欲得の臭みを敏感に―やもすると過剰なほどに―感じ取っているからこそ、そして歴史的にも前例が山ほどあるがゆえに、「商業批評」への不安とも不満ともとれない感覚に襲われているのだ。
この辺の臭みをどう脱臭できるかが、今後のライトノベル本の成否に関わってきて欲しいものであるが、どうせそんな事はどうでもいいようにある程度は売れるだろう。 そんなもんだ。