山本賢二版ブラック・ジャックにみる、後代への伝承について

すごい。
なにがすごいってブラックジャックの数ある話の中から出来るだけ人がたくさん死ぬ話だけピンポイントで選んでいるのがすごい。 手術した患者が死ぬ話ばかりなのもすごい。 殺す気マンマンですがな。
元よりぶっ殺し系漫画が得意中の得意、というか気が付いたら殺してるという無体な御仁である事は知っていましたけれど、「そういう描写あるならもっと詳しく書いて良いよな!」という開き直りを得てしまったのか、まるっきり合法とばかりに殺し倒していて、普通の漫画としては完全に間違っているが、山賢の味が十二分に出ているのでリバイバル漫画としては正しいという、なんともとち狂った展開になっています。
これをみると少々飛躍的ながら、後代への伝承というのが「正しく伝わる」という考え方がいかに迷信めいているか、いかに胡散臭いかが良く分かります。
山賢版でのブラックジャックというのは、非常に露悪的というか根性曲がりの部分と、「命を救う事」にすさまじく青臭いと言える位に固執する部分が強調されていて、山本賢二という漫画家にとってはブラックジャックがそういうキャラであるという認識を強く持っている事が伺えます。
つまり、山本賢二にはそういう風に伝わったのです。 それをそのまま描いたら(そしてぶっ殺し描写をいれたら)あのブラックジャックになるわけです。
我々はどうにも忘れがちなのですが、自分が思ったように他人が思うと言う事が必ずしも、いや殆どの場合あり得る事ではないのです。 それがたとえ「巨匠」「神様」と呼ばれる人の物でも、です。 その点を無視して「違うから許せない」というのはちゃんちゃらおかしい。 違いが許せないなら原版読んでいれば事足りるのであり、そういう人はリバイバルの楽しみの分からない無粋な人なのです。
ちょっと話がそれましたが、こうやって伝わっていく過程でどんどんと伝える人の情念が入り込んでいく事により、伝承というのは変化し磨かれていくという事を、忘れないようにしたいと思います。
・・・しかし山賢、そんなにカオシック・ルーンの主役格嫌いか。 そしてクランたん欠損はぁはぁか。 こんな危険人物にこの話をまわした編集の神経はどうかしていたとしか思えないんですが、皆さんはいかがでしょうか。