一方通行のラブ。 あるいは良い迷惑として。

キーワードが面どいのでぼかして書きますけれど、某美少女アニメというのが安直に乗せ易い構造であるとして、しかしその安直さによって見ている人が踊らされているか、というと若干違うように思うのです。
あれの性質の悪い所は、その乗せる形に持っていくまでに多大な気配りをしている事で、その積み重ねを持って乗せられることに説得力を持たせているわけであります。 「くそったれ」な展開はまさしくそれをする為にいままで積み重ねてきたがゆえの「くそったれ」であり「話の中のシステム」としての「くそったれ」である。 それに対して「くそったれ」というのは手の平の上でしかない。
そしてその上で視聴者は、「くそったれ」が打開される事を求める、いや求めさせられている。 ここにおいて視聴者と製作者の間にある種の暗黙の了解が立ち現れてきて、そしてそれもまた暗黙でしかないが上に作る側の思う壺だったりします。 さてこの場合、踊らす方が上手いというべきなのか、踊らされる方がアホというべきなのか?
私は踊る阿呆ですけれどもね。