本歌とり「ライトノベルの読者層」(モノグラフの自由帖より)

昔、これと似たような事を「書き手のユクエ」という形で軽く振れてみたのを思い出して、ひとつ思考を開始します。
以前の私は、音楽との比較で「今の年代の人が、そのまま青少年向けをずっと書き続けるのは無理であろう」という推測をして、

(前略)「ライトノベル」という呼び方が、今それを読んでいる年齢層の“持ち物”となってそのまま、その層とともに加齢していくのではないか。(後略)

と考えいたりました。 今もこの考えは曲げるつもりはありません。 いずれそうなっていくと思います。
しかしながら、「ライトノベルは大人読者向けに書くべきだ」というのには「否」といいたい。
それは「ライトノベルの大人読者」というものの成り立ちが、「ライトノベルの青少年読者」から推移した結果の産物であり、それなくして「大人読者」は存在し得なかったという事、もっといえば「大人読者」というのはある種の酔狂であるという、オタクの経験則が適用できる事がその何よりの証拠としてあげられるからです。
そう考えると、酔狂としてはライトノベルといわれる活字文化が「青少年のもの」であり続けてもらった方が、その中から色々探す事ができるのできっと楽しいのではないかとも思います。
別に「大人」に向けて書かなくてもいいんです。 「読者」に向けて書いていてもらえれば、それで酔狂は満足なんです。 というか満足できるものを探すのが酔狂の面目躍如って気もしますし。
ああ、なんだかごっちゃごちゃになっちゃった。

「まとめ。 そうねえ。 『本は読まれないと死んじゃうんでッス』ということしかないんじゃないの?」
「そうですね。」