『「萌え」について」についで』

インターネット殺人事件<http://internet.kill.jp/>の脳の中をのぞいて思ったことを。
先手を取ると、「萌え」について口に出さないといって、思考をしないと言うわけではありません。 書くときもまた同様。 出来るだけ排除しますが。
それはさておき。
「萌えのうまるるところの探求」という思考の迷い道において、この指標はかなりありがたいので、思いっきり使うことにすると、一つ、光明のようなものが見えてきます。
それは次の一文です。

遊ぶ前に思考の中で萌える萌えないの計算をして、行動を未遂に終わらせてしまう者は、オタクではなく卑怯者である。

得たり! エウレカ! エレクチオン
わかったよ兄い! 言葉ではなく心でわかったッッ!
「萌え」といった時、その行動は既に完了しているんだねッ!!
つまり、「萌えた」なら使ってもいいんだねッ!
と言う風に思っていたら、谷川流「絶望系」にこのような台詞があると聞き及び、また新たな事を考えてしまいました。

「何らかの対象をオカズにオナニーしたとして射精直後でもその対象を愛する気持ちが薄れなければそれは萌え。それ以外はエロ」

ここで問題なのは「萌えとエロの関係」ではありません。 その前の文章、「何らかの対象をオカズに」であります。
ここにて我々は大きな壁に突き当たる事になります。 「萌え対象を好き過ぎてオカズに出来ない」というのではありません。 「萌え対象が常の域を著しく超えている場合、オカズにできない」と言う事です。
具体例を挙げるなら「D-LIVE」の「ロコ萌え現象」がそうです。 この「ロコ」と言うキャラが女性なら、まあ普通に萌え対象になるかもしれませんが、「現象」というほどの事にはなりません。
では何故「現象」という言われ方をするのかと言うと、当のロコがごっついひげもじゃ親父という事によります。 このロコ、何回か敵側として出てきていたのですが、「萌え現象」が起きた時、行きがかり上主人公と一緒に行動する事になります。*1
いままで何度も敵対していただけに、主人公の実力を良く分かっているロコ。 その為、一緒に行動できる事がよほどに嬉しかったらしく、心の中で「最高だ!」「こいつとならどこまでもいける!」と喜びっぱなし。 しかし主人公にはそういう部分をおくびにも出さずに厳しく激をとばしているというパーフェクトなツンデレっぷりを発揮して、「ロコ萌え現象」を引き起こしたのでした。
この例の様に、常の域を超えてしまったものに「萌え」た場合、それでヌけたら「変態だーー!!」という事になってしまいます。 しかし、そういう所にも「萌え」はある。 これはどう考えればいいのでしょうか。
謎はつきません。

*1:サイドカー付バイク