本歌とり「現象としてのライトノベル」

 つまり、ライトノベルってのはジャンルとして捉えるにはあまりにもジャンルを崩壊しすぎているといいたいのです。前回の話で、世にある様々なジャンルの要素を含み、またそのジャンルは拡大しています。そしてそのジャンルの融合まで起こり、何が何だかとらえどころのない小説群。それが「ライトノベル」という現象なんではないかと。
(強調原文ママ

おおむね同意でありますが、それでは本歌とった意味が無い。 少し発展させましょう。
まず「ライトノベル」のジャンルとしての興りは「目に絵がはいってくる」というのがそれだったと考えましたが、今でもこれも十把一絡げにくくれる範囲ではないのは、いろんな本や人の意見を目にするとそう思えてきたり、しませんか?
まあ、それはおくとして。
ジャンルから現象へと移っていく理由として「絵だけじゃ物足りなくなった」という事を勝手に推察します。 これは絵で入った読み手側のニーズが変化していくを表しているのですが、面白い事にそのニーズが外向き、つまり「ライトノベル外」にではなく「ライトノベル内」に求められるようになってきたのが、「ジャンルから現象へ」の一つの要因となるわけです。
なぜ読み手側が外に求めなかったのか。 外に魅力が無かったわけではない、はず。
となると、外に求めなかったんじゃないかという考えが浮かびます。 そうすると、そこに外に出て行かない一定量の購読層が生まれるわけです。 そこへ求められる本や変り種やらを投入していくうちに、そこにジャンルとしての体積が生まれ、またその購読層の幅の変化に応じて読まれる本も変遷していく行くにつれて、そこに好みを見出す外の層が出てきて参入。 それを狙って…という風な流れを経て今に至るわけですね。 話がかぶってる気がしますが気にしない。
で、今後、この購読層がどんな形をしているのか、というのが一つの焦点というか、商点となるように思います。 現象とまでなったのを、一回どこかで幾つかにジャンル分けしていく、というのがいつからか起きるだろうなと思うわけで。 しかし、そうなった時に確実なくくりでくくられる事が「本」にとってどうなのだろうか? という疑問もあるのですが、それはまた、そうなった時にでも。