榊一郎という作家の特性についての一仮説「ずれの作家」

「ずれ」というこの言葉は、かなり榊一郎という作家をあらわすのに使えると考えます。
スクラップド・プリンセス」は「『偽』ファンタジー」(実際はSFの性格を強く持っていた)、「ストレイト・ジャケット」が「『荒廃したSF世界』に対する技術としての魔法」、「まじしゃんず・あかでみぃ」が「『現代劇』にまぎれた魔法」…。 なんか魔法ばっかりだなぁ。
それはさておき。
こうやってあげたように「普通といえる話」に「ずれ」を混ぜているわけですね。
その中でも特に面白いのが「君のいた昨日、僕の見る明日」(以後「君僕」)です。 周知のとおり、「君僕」は主人公達がひょんな事から異世界に連れ込まれ、擬似学園生活を送る話しなわけですが、この作品、実はかなり面白い転倒があります。
それは「逆ホラー」。
皆さんも「ホラー」、とりわけ和製「ホラー」において、「人が一人づつ消えていく」というモチーフが極めて一般的である事に異論は無いと思います。
さてここで、さきほど書いた「君僕」の基本的な筋書きを思い出してください。 「主人公達が異世界に連れ込まれる」、でしたよね。 これはまさしく「人が一人づつ消えていく」という方向の正逆にあたります。
この点から言って、「君僕」が「逆ホラー」の名に値するのは紛れも無い事実といえましょう。 他にも、幽霊やスプラッターなネタをギャグとして転化しているのも、見逃せない事実です。
そして、これも私にとっては重要なのですが、この「ずれ」が妙に薄い為か、「イコノクライスト」に対してどうもいまいちに感じてしまうのです。 悪くは無いけど「榊一郎」の味が出てないというか、こういうデコレーションの強いのは逆に向かないんじゃないかというか…。 
この辺りが、「榊一郎」という作家の面白い所といえなくもないですね。