最近のライトノベルの扱い

 いままで周知ではないけれども確実に存在し、知っている人はいるけれどもひそやかに育ってきたものに不図したきっかけで世間のスポットライトが当たる事がある。
 無論、ライトノベルのことである。
 今でこそ、「ラノベ」の呼称で親しまれ、中高生からオタクの嗜みの一つに数えられており、また本のジャンルとしてミステリーに迫るほどに人気が高まり、「古橋か、秋山か」がその道のものの合言葉となり、ライトノベルが科目に加えられていないオタク系専門学校を探す方が難しいというまでに世の中に広く浸透した感がある。
 しかし、私の心情を有体に申せばそうした現今の風潮に異を唱えざるを得ない。ひとつのジャンルが取り上げられるー―平たく言えば「何者かの介入によって」だ――という事は、その過程において厳格に「語るべき何か」を付与されるということである。 そして、その付与された「語るべき何か」の部分がライトノベルになさせようとした役である事は言うまでもない。そうしたのはどこのだれか。 もちろん、「ブンガク」とそれを取り巻く連中である。
 筆者はあの「ブンガク」という言葉を耳にする度に虫唾が走る想いを禁じえない。反吐が出る。ネットをさまよっていて「やっぱりブンガクでしょ(笑)」と等と語り合う光景に出くわす毎に何度筆者はマウスを硬くを握った右の手を左の手で指一本一本ずつ解きほぐさなければならなかったっこと、その上で新たなマウスを購入に街中まで車で20分ほどかけてでかけねばならなかったことといったことは余談になるのでここでは触れない。
 しかしこの際断言しておかねばならぬ。現在のライトノベルブームと呼ばれるものは一種の錯覚であり別にライトノベルの地位が向上したとか売り上げが倍になったとかそういうのは一切無い。昔、ライトノベル(特にそう呼ばれる以前)の顧客が大人になって金持ちになっただけで、客数事態は小子化や他のジャンルとの攻めぎでパイ自体は広くなっていない。むしろパイに昔よりも大勢が寄ってたかっている今は人によってはきつい時期とすら言える。それなのに「ブンガク」のやつらは「『ライトノベル』とかいうやつについて書いたら儲かるらしい
とか勘違いしてけつかる。畜生。上等じゃねえか。大体昔は存在すら完全無視で「J文学」「J文学」とかいってやがったくせに。ちょっとこっちの風向きがよくなったとみリャ、ここぞとばかりに手の平返してでしゃばってきやがって。糞豆。糞ジェンガ。糞プトレマイオス朝エジプト。
 些か筆が滑った。勘弁して戴きたい。皆さんも忌々しかろうが、いちばん忌々しいのは筆者なのだ。忌々しいという言葉を発するだけで忌々しい。忌々しさが更に募っていく。これだけ忌々しいといっそ清清しいとも言えそうだが忌々しい。これで忌々しいという言葉を六回、じゃなくて七回書いた。七倍に忌々しい。これで八倍だ。
 気を取り直して先へ進もう。そうなると、この忌々しい(九倍)奴らに我々は導対処すればいいのだろうか。取り上げられて表面上素直に喜ぶのか。あきらかさまな敵対意志をむき出すのか。のんびりスルーするのか。阿波踊りを踊るのか。いずれを選ぶにせよ、個人個人が作戦を立てる必要はあるだろう。
 これでもう語るべきことは語り尽くした。筆者としてはこの一文が、真にライトノベル愛する人びとの心の慰めとなればこれに過ぐる幸せはない。