わかったぞ! 電撃小説大賞の正体が!!

「わかったか」
「はっ!」
「内緒だぞ」
「はっ」

 冗談はさておき。 といってもこっから先も半ば冗談ですけれど。
 自分用メモだからチャッチャ書くけど、電撃小説大賞が目指すというかみている方向って言うのは第二回の受賞である古橋秀之「ブラック・ロッド」なのよね。 あれが電撃小説大賞の方向を決定付けた、そして同時に以後の電撃文庫を決定付けたといっていい。
 具体的にいこうか。 まず、「ライトノベル完全読本vol'3」でライトノベルの歴史の中で大きな一つとされる、上遠野浩平「ブギ―ポップは笑わない」は電撃文庫においては一つの方向性でしかない事。 これは後に(「両極」というと語弊があるんで違う言い方で)「双極」な存在として君臨する事になる阿智太郎が、同じ回に受賞している事からみて、間違いない。 この方向性、という面で「ブラック・ロッド」によってもたらされた電撃小説大賞の一つの注目点っす。 これが無かったら、おそらく「ブギ―ポップ」が出現できたか不透明だったろうなー。 実際、富士見ファンタジアでこの作品は出てこないだろうし、あの年度周辺の角川文庫でも出て来れなかったのではないか、ってな。
 そういう意味で「ブラック・ロッド」は「スレイヤーズ」から「ブギ―ポップ」をつなぐミッシングリンクなわけだす。 この内容を考えたのは、「キノの旅」と「バッカーノ!」が「ブギ―ポップ」の子であるという「ライトノベル完全読本vol'3」の話からでてきたんだけれども。 だって、「スレイヤーズ」から「ブギ―ポップ」って飛びすぎだもんよ。
となると、アルスラーンからスレイヤーズの流れも不思議ではあるな。 しかも「角川スニーカー」→「富士見ファンタジア」→「電撃文庫」と、これが時代の趨勢とリンクするわけで。 まあ、これを考えた人の意図的だったと見るほうがいいのか。 「アルスラーン」→「ロードス島戦記」→(同時代)→「スレイヤーズ」かな。 友野祥の「ファイブリア」シリーズと「スレイヤーズ」がほぼ同時期というか、「スレイヤーズ」の方法論を使った最初期の作品だろう。 発売、何時だったか? 自分のみていた流れを書くと「アルスラーン」→「ロードス島」「スレイヤーズ」→「冴木忍作品」「ファイブリア」→「オーフェン」→「ブギ―ポップ」「阿智太郎作品」→「すてプリ」「フルメタ」→「キノ」→「ハルヒ」「ドクロちゃん」「バッカーノ!」 こんな感じかな?
 それから、「ブラック・ロッド」が出たが故に作品への考え方が変わった人もたくさんいる。 一番に上げられるのは「ブラック・ロッド」の次の年(第三回)にでた川上稔。 「ブラック・ロッド」の作家の空間にやられて、奮起したという話は音に聞こえし、である。 使い方が違うか。 まあいい。
 んで、川上稔はその後というか今、すさまじく精力的に書いていて、2005年で、「終わりのクロニクル」を完結。 その独自の作家の空間をもって、ある意味もっともらしいライトノベルであり、ある意味もっともらしくないライトノベルを書く作家として大成したわけだ。
 ここで重要なのは「作家の空間」でしょうか。 謎の造語ですがかまわないでください。
 「ブラック・ロッド」って一種異様な空気をもっている作品だなと。 ファンタジーとSFを微妙に渡り歩いている。 そんな読感のある作品だと、私はおもってたりするんすけど、この読感、その「作家の書く空間」というモノを、電撃文庫では強く受け止めたんじゃなかろうかってわけですよ。
 ぐだぐだしてきたな。 まとめよう。
 つまり、「方向性」と「作家の空間」の二つが重要って事か。 それも、「ブラック・ロッド」に匹敵するレベルの。 上遠野浩平阿智太郎である程度は確固とした方向は定まってたんだろう。
支倉凍砂がすごい件についても、この指標が作用したとお見受けいたす。 いや、よく賞に残したもんだ、と感心。
メモ、ってとりとめがないなー。