正読思想と誤読思想

 きっちり書くのがめんどくさいので、だらだらと第一稿的に軽く書きます。第二稿がない可能性が大ですが。

  • 誤読を防ぐ方法は、書く人と、読む人が、違う人なんだから、あるわけ無いだろう。
    • というより、誤読=誤解をどうにかこうにかする事が、他者というものをわずかなりとも理解する為の必須事項だろう。それをあっさり「間違って読んだ」で排除するな。
    • コミュニケーションとは、理解と無理解のさじ加減ではないのか。
      • つまり、こちらとあちらの理解をもって、こちらとあちらの無理解をどうにか埋める行為と言うか。
      • こんがらがってきた。
  • そもそも、「誤読」というからには正逆の言葉として「正読」がある事を前提としているのだろうけれど、これはひどく胡散臭くないだろうか。
    • 最初に書いたように、書く人と、読む人は、同じ人間じゃないんだから。
    • だとしたら、「正読」って言うのは、どういう読み方なわけだろうか。
      • 「世間一般で正しいと言われている」という意味でしょうか。
        • でも、それが本当に正しいって、誰が決めたんだ?

 なんだか私怨全開になってしまった気がする。