ポップン、あるいは音ゲーについてのいくつかの事

 ポップンのみならず、音ゲーの最大の魅力というのはすなわち、プレイ曲を自分のプレイが支配している(と錯覚する)事である。難度の高いキー配置、いわゆる譜面をするのも、自己陶酔度が高いのも、ここに起因する。
 兎角、音ゲーの高レベル曲は、アンチ正気の沙汰な押し方と指あるいは手使いを要求するゆえに、音ゲーをしない方にはそういうものが珍奇あるいは怪奇に見え、「ここまでのことをしなければならないのか」と思われがちですが、実際の所、最初からそこまでの無茶なのが出来るのが多数、というわけではない。*1当然、練習し修練した結果、クリアできるようになるのである。
 高い難度を何度もやってクリアしようとする事の、そのモチベーションとは。
 そう。『音楽を支配する』である。そしてここが陶酔の理由でもある。少なくとも私の中では、と前置きつけるが、これは大半の事例において真ではないかと思ってもいる。
 さて、『音楽を支配する』とは。
 といっても、単純な話ではある。
 音ゲーは、プレイやーが行動しない事には曲が完成しない。ゆえに、自分のプレイによって曲が完成していく、という感覚が強くなり、プレイしている時の曲との一体感、満足度が高くなるのだ。特に自分の好きなタイプの曲の場合は高い自己満足が得られる。
 ならば、なにも高難度でプレイせずとも満足できるではないかと思うかもしれないが、さにあらず。
 低難度の曲、というのは簡単であるわけだけれど、音ゲーにおいて簡単とはプレイやーが操作できる=曲に関わる部分が少なくなる事を意味するのだ。逆に難度が高い曲ほど、プレイやーが曲に関われる部分が多くなるわけで、つまりもっと上の一体感がある事になる。ゆえに高難度にチャレンジするのだ。
 まとめると、音ゲーの高難度をプレイするというのは、より深くその曲に関わる、と言い換えても良いのである。そして、そうする事によって曲との一体感は強まり、更に深い自己満足が得られる。そして自然と、陶酔感も強まるのである。
 これが、音ゲーマーの心理の一編である。といったら言い過ぎか。

*1:それでも、上手い人というのは初見で軽々クリアできたりもする