という思考が、アニメを某動画で見ていて突如浮上しました。コメントとして出てきた。「下手」が気になって仕方ない仕方ないのです。
「というか上手い下手の意味がわからない」 「意味が!? どこまで重症なんだ小松!」
というわけで意味がわかりません。困った。いや正確に言うとニュアンスはなんとなく見えなくも無いんですが、それが正当だとも思えない、という塩梅でしょうか。
それでは話が進まないのでなんとか定義したいと思いますが、上手い下手というのは一種の線引きである、んではないか。一定以上である、あるいは以下である事を指して上手い下手を述べるのだと。
ですが、これには色々と疑念が出てきます。つまり、線引きが誰の手によるのか、そして誰の為のものなのか、という事。この答えをててとーにいってみると、前者は見る/聞く/感じる者の手により、後者は見る/聞く/感じる者の為、となる、はずです。
でも、見る/聞く/感じるには個体差があるものなはずだから、ある人が良いと言っても、ある人にはダウトだったりするのが、ある意味当然ある。
しかし、上手い下手を言う時というのは個体差を無視してもっと統一的な意味合いで上手い下手を論じている、というのがあるわけで、しかもそれがある程度納得できたりもする。これがわからない、悩みの種なわけです。何故そう言えて、何故それを飲み込めるのか。
そこが意味がわからない。何故そうなるのか、わからない。
やっぱりある程度は統一的な線引き、基準というのが共有されうる、という事なのかなぁ。でもそれがあんまり信じられない。あるいは、信じたくないのかもしれないなぁ。
と、まとまりなく終わり。