感想 久正人 『ジャバウォッキー 7』

ジャバウォッキー(7) <完> (マガジンZKC)

ジャバウォッキー(7) <完> (マガジンZKC)

 大体の内容。「実は生きていた」。この漫画の7割はこれです。後2割が「実は事実だった」で、最後の1割が「実はこれはこうだった」という、「実は〜だった」という文章で10割内容が言い表せれる高度に発達した伝奇アクションでありました。この巻で完結です。3巻みたいに「また久正人お得意の打ち切りエンドjか!」という終わり方ではなく、でもまあ打ち切りなんですが思った以上に綺麗に終わっています。マガジンZが死亡しなければ、もう少し続いたのかなあ、という妄想も出てきますが、まあ死んだ子の年を数えても、という言葉あるのでこれくらいに。でも、今巻の表紙裏表紙びっしりに正装登場キャラとかみると、感慨というか悔しさというかが沸き立ってきますが。最後の最後でこの漫画の裏テーマみたいなのも出たのも、これが続いてたらどう処理されていったのかなあ、とか思って勿体無いなあ、と思ってしまいました。だから歳を数え(略)。
 それはさておき、この巻収録のエジソン編はアクション面が押さえ気味でサスペンスノリで進んだのですが、そんなに長く引っ張る事も無いかな、という気持ちが出たのだろうかというくらいにあっという間にぶっちゃけはじめた時はケラケラ笑ってしまいました。あっさり明かしすぎ。その上それまでの無駄なテスラ劇場が頭おかしすぎ。話にほとんど関係してねえ単なる私怨じゃんか! で、そのエジソンが出てくるタイミングがニコラ・テスラと時代が被る、ついでに直流交流以後の辺りなので、「きさまはクビだ! テスラァァァ―――!」と「許すまじ交流!」のエジソンとミキシングして、しかもそれらに競り負けない“実はこうだった”メソッドでの「99%の努力」の解釈をぶちたてて来たので、もう、バカ。
 絵柄の好悪はあるかもしれませんが、伝奇物が好物という方には手放しでお勧めしたい、そんな漫画でした。本当は1巻から全部の感想を書きたかったりするんですが、それはちょっと長くなりすぎるので、ここでは久正人先生の次回作に期待して、筆を置きたいと思います。