- 作者: 石川博品,うき
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2009/01/30
- メディア: 文庫
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内容を要約すると、「妄想男の校内健全化の第一歩」。妄想男レイチ本人は完全に流れで巻き込まれただけですが。つーか状況に流されすぎ。情にも流されすぎ。そして、まともなこと言わなすぎ。
ということで、内容自体は結構簡単に要約できるんですが、その語り口は生半にはいかない、というか軸が捉えにくい語り口で、それが、それこそがこの小説の最大の特徴なわけですが、ではどんな語り口なのかというと、語り部レイチ君が適度に妄想、適度に回りくどい言い回し、適度にどうでもいい事を織り交ぜながら、実際は全部実だけどたまにどう見ても虚しか混ざってないような言葉を紡ぎ上げる、勝手に命名するなら、お前何言ってんだ文体、とでもいいましょうか。そんな適当くっちゃべりズムの一人称でひたすらくっちゃべ下ろされるのが、この小説、となります。
具体例を引用してみましょう。ちょと長いけれど、長いのが真骨頂なので。
開き直るようだが、僕はこういう問題に対して一本筋の通った意見を持つ人間ではないのだ。 わかりやすいようにパンチラでたとえると、委員会というのはパンチラをほしいままに送風機を設置する集団で、 それ以外の人たちは「偶然チラリと見えたらラッキー」くらいに考えてのうのうと暮らしている。 僕は故郷の草原に独り寝転がって空を見上げ、戦争で傷付いた体と心を癒しながら、 ああ、この雲が全部パンツだったらな――そう思える男になりたい。やっぱり平和が一番! といった具合に話の一貫性すら保てないんだ。 (『耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳』P.98より。サイト上で見やすいように句点読点で適当に改行しているが、実際には改行なし)
どうですか。どういういい加減さか、分かっていただけましたか。
とにかくこんな調子でひたすらいい加減で実の無いくっちゃべりを続け続けられて、気がついたら一冊終わってる! という衝撃に包まれるのが、この本のある種の正しい読み方ではなかろうか、というくらい、この語りに乗れるか乗れないかで評価がはっきり分岐すると勝手に思うんですが、俺は嵌りました、よ! ええ。たまに時代考証というか世界考証が妖しくなってくるのすら、いとおしい。デストロンって言った時はさすがに「落ち着け」とか口に出してしまいましたが。
ここから更にライトノベルにおける一人称文体の発展型、あるいは破滅型という電波が受信されてきましたよ。『ハルヒ』の一人称が自分の心理をツンデレて具体的に言わない、ごまかす、という方法を使ってきたのから更に破滅的に発展して、自分の事どころか語れる全部をでたらめに語る、という流れが生まれた! と驚いたんですが、たぶん勘違い的、車輪の再発明的な驚きだと思います。文学の流れの中ではきっとどっかで勃興したに違いないことだ、とか考えていますが、それはさておき。
これはライトノベルに分類されるので、当然キャラ的な話がついてまわりますが、個人的には▽*1ことソックが突然妄想力を発揮した辺りが一番ぐっときました。次の巻の口絵みたら「脚本:ソック」というマジカルワードを見て体液を噴出したのは内緒です。ついでに折り込み広告みたら(+補佐;レイチ)とあって、もうこれは「七人」を早く読まない手はないないない。というくらいに気持ちが盛り上がっておりますが、それはさておき。
メインであるネルリ? そうねえ。この段階ではレイチの語りが強すぎて、暴君としての側面以外は(最後のわたわたはあるものの)、強く出てないかなあ、という判定。「七人」でどうなるか、というのが見所として鎮座ましましております。一気に爆裂してくれればいいんですが、まあ結構存在感はあったので、そのままでも大丈夫かなあ。レイチの語りが楽しい、という視点をひっくり返さなくても楽しいんだし。
でもどうなるか。さあ、それを確認する為にも「七人」読まないとな!