感想 水沢悦子 『花のズボラ飯』

花のズボラ飯

花のズボラ飯

 大体の内容。「ズボラ女、飯食らう」。食らうに至るまでに枝葉瑣末は色々あるものの、基本的にはただ食らうだけ。ただただ腹を減らし、しかしがっつり作る気にはなれないゆえに、ズボラなりの適当な飯、ズボラ飯を作って食らう。言ってしまうとそんだけなのですが、食らう前の腹減りとズボラによる積み上げもさることながら、その食らう様が異様なほどの接写で表され、それゆえになんか美味そう、という接写マジックが炸裂する作品となっております。詰まる所、顔芸なわけですがこれだけじっくり顔芸を見せ付けられると、やっぱりなんだか美味そうに思ってしまうと共に、これには何か遠大な思想があるのか、と思わずにはいられません。たぶん、作者の単なる趣味の範囲でしょうけれども。
 さておき。
 この漫画におけるズボラ、というものは単に飯の作り方のいい加減さにだけあるわけでないのが、特徴的です。どういうことかというと花さんの家は非常に汚い、という事でズボラというのを表現しています。この辺の描きこみは執拗で、本当に凄まじい汚部屋が毎度様相を変えて出てくるという、これまた一体どういう深遠な理由があるんだろう、という勝手な戦きが発動してしまいます。たぶん、ズボラの説得力の為なんでしょうけれども、それだけにしては何度も言いますが執拗。なんだろうこの執拗さ。
 さておき。
 帯に女版『孤独のグルメ』なる文言が並んでおり、それが買いに走った一要因だったりしますが、そんな感じ、つまり『孤独のグルメ』の味わいがありますか? と問われると、違う漫画なんだから違う味に決まってんだろうが! という返しが発動します。違いで一番分かりやすいのは台詞関係で、『孤独のグルメ』の五郎さんが基本モノローグで語る、飯を食う時は内心で語りまくりながらも口はひたすら寡黙に飯を食らう、たまに「ジェットのせいで歯車がズレたか」とか変な言葉が漏れ出すけど、と言うのに対し、花さんはひたすら独り言。一人の寂しさか、単にそういう性質なのか、とにかく独り言で盛り上がります。その独り言っぷりはいきなりテンションが高まって叫んだせいで周りがびくっとするレベル。というか、ちょっと挙動不審。
 しかし、その時の台詞センスは久住原作の基本的な持ち味である、とぼけた味わい。その辺は久住原作として通奏低音するものがあります。食べる事に真剣である、腹が減って食らう事にマジであるがゆえに出てしまう変な言葉。そこは外しておられません。いやあ、相変わらずいい味だわぁ。