箭本進一 阿部広樹 多根清史 『超ファミコン』

超ファミコン

超ファミコン

ファミコンについての徒然

ファミコンは世界でもっともたくさん売れたゲーム機だ。

 この本、『超ファミコン』なんて題の本を買おうという人は、おそらくどころかまず確実にファミコンを遊んだ世代と言えるでしょうが*1、ワタクシも当然その分類に入る一人。生年的にやや後発に位置するものの、ガチでリアルタイム世代、特にファミコンRPG全盛世代であり、以後もゲームをし続けていますが、その最初はファミコンの産湯に浸かった身であります。なので適当な文章、あるいはゲームチョイスは私は許しませんよー! と居丈高になるのは当然の理ですが、そういう無駄に高い視点からしても、十分に安定した内容を保持している本。それが『超ファミコン』なのです。

本の基本構成と内容について

 この本は特に言及があるわけではないですが、大雑把に初期・中期・晩期程度のくくりで途中にインタビューなどを挟みつつ、ゲームの発売日順でソートされております。Web連載時は順不同であったのをこうしたのは、ひとえにゲームの進展、進歩を見る事が、感じる事が出来るようにという配慮でしょうか、と勝手な推測をします。実際、初期はシンプル絵にシンプルながらのゲームシステムで作った物が多かったのから、中期から晩期に近づくに従ってファミコンの限界に挑戦するようなゲームがどんどんと出てくるように見える仕様となっており、順繰りスーファミに移行していった身ではそんな凄い時代が、ファミコンにあったのか! と恐れ戦く次第でした。『サマーカーニバル’92烈火』とか『メタルスレイダーグローリー』とか『ジョイメカファイト』とか、名前は知っているもののやったことの無い、ファミコンに出来る事というのがきっちり詰まっているもののレビューを読むと、特にそういうのを感じたりします。
 内容の方は『超クソゲー』シリーズであるのに相応しく、2〜6ページで綺麗にまとめつつネタっぽくしつつ、であります。作者諸氏の筆の乗り具合でページ数が乱高下ありますが、大体2ページでまとまっているので、ちまりちまりと読んでいく、あるいは拾い読みしていくのも楽と言ういつもながらの親切設計。でも、内容は忽せじゃありません。どれもしっかりと、そのページ数で掘り下げられる分だけとは言えども掘り下げている辺り、それに全く迷いが無い辺りはクソゲーハンター改めファミコンハンターの流石のジョブであります。箭本さんは静かに熱く、阿部さんは軽妙にずれて、多根さんはネタと情熱の間な感じ、うん、これこれ!←井の頭五郎面で
 特に名作より怪作のレビューが楽しかったですね。思いいれが全く無い、雑誌知識しかないような作品でも、きっちりやってくれる様は本当に頼もしい姿でした。というか、『超クソゲー』で大分取り上げてるのに、まだこんなに怪な作が残っていたのか! って感じです。

好きな部分いくつか

 これだけあれば当然好きな回というのはありますが、無造作に上げていくときりが無いので、初期・中期・晩期、それぞれ一つずつ上げるとします。

初期「アーバンチャンピオン

 内容のしっかりした紹介と分析が素晴らしい箭本さん回の至宝。自分がやった記憶ではごり押しばかりであったなあ、という思い出補正に、どういうゲームなのかというのを25年近く経って知らされるという知的好奇心のくすぐりが加わって最強です。昔は植木鉢と警察と良く分からない勝敗判定は本当にイライラしましたが、それでもやってたゲームでありまして、それについての詳しい解説を知ってまたやってみたくなったり。今やると、また違う趣なんだろうなあ。

中期「バブルボブル

 これも箭本さん回。ゲーム内容、システム、出来栄えに対してきっちりとした仕事をしているのが好感度高いですし、そもそもバブルボブルは結構やったゲームなので思い出補正もまた乗っかります。色々とテクがあった、というのをまたも25年近く経って知ると言う事もまた楽し。これも全く古びてない、今ちょっと絵柄を変えてほぼまんま移植でリメイクしても結構いけそうなゲームですし、バーチャルコンソールで買えるみたいなので、大プッシュしたい。と言う思いが読んだ途端に湧いた回でした。

晩期「メタルマックス

 ファミコンRPG大全盛が如何に凄かったか、というのがこのゲームの存在で確定的に明らかになるくらい、と勝手に思っている作品だったので、阿部さん回というある意味でちょっとどうなるか、と思わせる部分がありましたが、蓋を開けてみればこのゲームのネタっぽさをきっちり出したグッドジョブでありました。そうそう、最初の戦車でまず喜ぶのは、無制限に撃てて且つそのタイミングでの自分の攻撃より確実に攻撃力と掃討力がある機銃なんだよな。ヒャッハー! 蜂の巣だー! 出来るんですよね。

インタビューとコラム

 インタビューでは当然高橋名人VS毛利名人の話。対戦の結果自体が何故か玉虫色だった謎の映画でしたが、その内幕がここで明らかに、というのは滾るのと迸る物が。そして魅せる高橋名人に対して完全にガチの毛利名人、という話がある意味出来過ぎているのが凄まじい。ガチでやったら高橋名人は勝ってた、というのも相まってこの話の伝説級っぷりを心に刻んでしまいました。
 コラム的な部分では飯野賢治の話がなんとも言えない余韻でした。正直に言えば、この文がどこまで真実かとかを考えてしまいます。どうしても、毀誉褒貶の多い人でしたから、自分はほとんどその人のゲームをした事が無かったりします。だからこそ、本当なのかなあ、と考えてしまったり。色々事実なら、やりきれない部分がありますね。

ファミコン、その愛

 そんな訳でつらつら書きましたが、最後にこれだけは言えるのは、ファミコンは愛されていたのだなあ、という当然の事実です。何周年という節目節目でその業績を讃えたり、考えたりするものが出るという、その影響力。そしてそれをする人達のその愛。そういう物がどん、とこの漫画にも搭載されており、読んでいて好きなんだ、というのが分かって、自分も当然好きだから同じ思いの人が居る事に大変嬉しいものがあります。知っている世代、というのがどんどんと歳を取っていき、全く知らない世代も当然出てくる中で、こういう本が出て、読まれるというのは、なんだかとっても、ありがてぇじゃねえか……(CV:稲田徹)。する事を禁じえません。ああ、好きっていいなあ。
 さておき。
 読み終えると、然り! って思っちゃう名言で、締めとさせていただきます。

ゲームはいまだファミコンを超えていない。

*1:そうじゃない世代の方が増えているのが現状ですが。