感想 島本和彦 『アオイホノオ』11巻

 大体の内容「めくるめく挫折経験!」。今回は焔のターンより庵野さん達ターンのが印象的でありますが、それでも主役は焔。その視点で、その分析力で、庵野さん達の伝説を目の当たりにする辺りがこの漫画『アオイホノオ』なのです。
 大体の内容としてめくるめく挫折体験と書きましたが、実際これだけの挫折体験を出来るのも恵まれているという気もします。人に寄るとはいえ、いろんな形の挫折経験というのはありますが、それを伝説によって成し遂げる(?)というのは、それもまた一つの伝説であります。普通の人には味わえなかった、そういう方向に進んでいたからこそ見れた、伝説の生き証人として、そしてそれが傷としてぎっちりと体に刻みつけられた者として、それを語れる訳ですよ。これは堪らなく羨ましい。今からその映像を見る事は可能ですが、その瞬間、その時代背景だからこを感じられた物は、悔しいですがどうしても今からは得る事は出来ないですから。そしてその前段階で一回鼻っ柱叩き潰されているのに更に重ねて、というのもいいですね。まさにめくるめく。こんな経験したから今の島本先生があるんですね。というフィクションであるを無視する発言がするっと出るくらいにめくるめいております。本人的にはこうやってネタとして昇華出来るようになったという部分もあるんでしょうなあ。世の中は無駄と後悔しかないけど、それらは昇華出来るだなー、というのを見せつけられました。おそらく、今までこの漫画を読んでいて見たかったのは、これなんだろうなあ、とも思います。パロディの島本先生が過去を使ってきたので用心せいしてましたが、それがやっとこながら厳しく食い込んできたようにも思います。
 その焔の素晴らしき挫折体験は、その審美眼によって我々に訴えてきます。先にどういう映像であるかというのがきっちり描かれるんですが、それのどこが見どころなのか、というのをきっちりと焔が解説してくるんですね。素養のない人が見ても ? な部分を、どこをどう見るべきで、どう凄いのかを、焔が大打撃受ける形で魅せている訳であります。流石にもう漫画家としての地位を確立したお人のテクだけあって、見事過ぎるんです。見事過ぎるんですよ、この展開は! むしろ、この展開の、内容についての噛み砕き方に嫉妬すら覚える見事さ。これでちゃんと焔への大打撃になっているという部分の描写も忽せではなく、むしろ焔が食い入るように入っているからこそそれが分かるんですから、もうたまらん。すげえとは思ってたけど、やっぱり予想以上にすげえな、島本先生。
 さておき。
 今まででもあった焔の謎の上から目線はこの巻にもあります。相変わらずあだち充せんせに対しての謎の目線は本当に謎過ぎます。どの位置からみているんだ、というくらいに変な位置なんですよね、あの目線。言いたげにしている上のようで、でもファンとして楽しみにもしている下からにも見える、というね。あの独特の目線というのは、オタなら大体経験があると思うんですが、それをきっちりと、本当にこの視線謎だよなー、と思わせてくれるのも本当に上手いなあ。と。実際問題として、焔のあだち充せんせの『タッチ』に対する危惧というのは外れていくのは既に未来にいる我々は知っていますが、でもそれが同時代ではどうだったのか、という疑問への一つの例示として大変優れた物であるとも思います。こういうのは作者でも知りきれない、本当に瑣末な事で普通に残らない物ですから、こうやってこういう風に見てたという証言が残るのはいい事であります。先の挫折体験も、そういう部分もあって、ある意味資料性というのがある漫画なのかなー、とも。さて、次巻では焔は立ち上がれるんでしょうか、と疑問を持って締めとします。