オタクと教養とオタ教養についてぐるぐると、の八

初めに

 オタ教養についてぐるぐっまわーるぐるぐっまわーる ぐるぐっまわーるぐるぐっまわーるする思考の置き場です。基本的に自分ですら読み下すのに苦労するような悪しき文章で徒然ますし、自分しか分からないノリで楽しむシリーズです。分かりにくいとか言われても困りますよ、と先に言っておきます。自分で自分に訳分からんわ! って言いたいレベルですのです。まあ、自分の為だから別にいいや。
 それで分け入ってみましょう。

八「オタクと教養」

 前回で、教養と言われる物を読むのも一つ手ではあろう、と書いた。折角だから、俺はこの教養に乗るぜ! というのも、向こうからこれはいい物これはいい物、といい物が半自動で来るのだから、実際の所忌避する必要性もないのかもしれないという和解感が俺を襲った。とはいえ、そういって見て一般と違う意見出したら、とか思える部分もあるので、そことの相対が問題の焦点だろうとは思う。
 のだが、教養はそれでいいとしても、<オタ教養>はそれとは趣が異なるのではないか、と考えるのだ。その所以は前回も引用をした荒俣宏『喰らう読書術』の一節である。

(前略)この「教養主義」的で古典的な読書の方法は、じつに優れた読書術だったと思います。その道の権威が集まって、必須といえる良書や名著をカタログ化してくれる。(中略)ですから、娯楽読書の漫画や趣味本を読むのと並行して読んでもかまわない。二者択一にするから対立してしまうのです。
荒俣宏『喰らう読書術』 P233)

 Here! ここですよ! ヘイ、たたかってるぜ! とテンション高らかになってしまいますが、ここなのです。何がここなのかと言うなら、それはオタク趣味というのがオール娯楽の内実である、という点です。つまり、大体において必須ではない、義務ではないのが<オタク>趣味なのだから、それに必須をつけると何かおかしいのではないか。と言うことだ。この点は考慮する必要があるのです。
 <オタク>は義務ではない物を選び取るという側面がある。アニメから鉄道まで、その方向性は幅広い。それこそ趣味なのだから、それを見るのに義務など無く、好きなように摂取する。好きな物を摂取する。そういう物が<オタク>趣味です。が、そこに必須は必要だろうか、というのが今俺の中に生まれている問いだ。必須、と言ってしまった瞬間に、オタ趣味は何かを得るが何かを失うのではないかと、私は思うのです。とはいえ、歴史があれば積み重なるのはこの世の事象の全てにおいて言えること。何かを得て、何かを失ったその行程が、今の世を作っている。と言える。そういう取捨選択の取が、義務としての<教養>として立ち上がってくる、という事も出来るでしょうか。選んだ物の歴史。選んだ者の歴史。それが<教養>のまた一側面であるとも言い過ぎれます。選ばれる人がいれば選ばれない人もいます。そういう些末として捨て置かれるモノを、しかし拾い上げるのが<オタク>のみならず全般的な意味での趣味といえるのではないでしょうか。必要とされていないのがどうだっていうのだ、というのでそれを取る。その行動が<オタク>という存在だった、という考え方である。<教養>からは見向きもされない些末だった、それらをあえてなのか偶々なのか、とにかくそれらを選び取った行動、それが趣味、あえて言えば<オタク>趣味であろう。
 が、しかし<オタク>の趣味域にも<教養>の側面が近づいてくる。<教養>側がそれを認めるような、あるいは懐柔しようという意図を持って。それだけその些末が些末ではなくなったと言える。そしてそれとは別に<オタ教養>と言える態度も生まれる。それだけ、<オタク>にも積み重なり、取捨選択が進んだという事です。と言う事は、つまり<オタク>と<教養>と<オタ教養>はかなりマーブルな重なり方をしているのだろうか、と突如飛躍。<教養>側が認める<オタク>要素とか、<オタク>が忌避する<オタ教養>とか、色々な現れ方があるのではないか? しかし、そこに断絶はあるのではないでしょうか。些末として捨て置いた側と、それを金科玉条として尊んでいた側とでは、こんなに意識の差があるとは思わなかった……! というものがあるのではないか。だからこそ、余計に<教養>と言われるとなにかどす黒い感情めいたものもでてくるのかもしれません。だからこそ、更に余計に<オタ教養>めいた言葉に対しても、変な感情が生まれるのではないか、とも考えつきます。好きな物を好きに摂取する事と、義務の物を摂取する、その二項は先の引用の通り対立すると考えなくてもいいのかもしれないが、それは<趣味>と<教養>の二項だからで、<趣味>と<趣味>では、これは二項になりません。同じものです。そこに<教養>を差し込む必要が、あるのかどうか。と考えていたら脳がつかれてきたのでこの辺で終了する。次回はでもそれ必須ですよね? という辺りを更にぐろぐろとしたい。