オタクと教養とオタ教養についてぐるぐると、の九

初めに

 このシリーズは自分の、自分による、自分の為の覚え書きみたいに、オタクの教養についてぐろぐろと展開しているシリーズです。

の九『オタクと教養の定位置』

 オタク文化と言うのが、教養との位置関係から生まれ育ったのでは、というのが浮かんだり消えたりしておるので、それについてたらたらと書いていきます。前にも書いてますが、元々オタク文化というのは些末な、とされた、モノを、いやいやこれも見る方向があるのですよ、とする運動であったという捏造を今しますが、でもわりと捏造でもないのかもなあ、という気もします。未だにオタクと言える部類のモノの研究がしっかりしてない所とかを考えると、結構称揚されてるのにまだまだそれも行く所まで行ってないのではないか、というとらえ方も可能でしょう。然程、オタク文化は些末な、とされた、モノを見ていくという運動な訳です。二度言いました。
 さておき。
 その方向性になった理由、というのはやはり何かあるのではないかと思うんですが、これについては適当な事をあえて言いますと、教養の位置がにわかに混乱した戦後というタームが我々の切り札。これを見ておかねばならない、というのが敗戦で、それでいけんかったろう! になった、という地点にあって、そこを再構築する過程で、新たに隆盛し始めたモノがその手をすりぬけていって、そしてそれが落ち着いた先がオタクになったのでは、とかなんとか考えてみたり。よくある戦前戦後ネタですから、たぶん間違っている部分も多いでしょうが、それでも一定の射程はあるかなと。
 それはさておき、何故すり抜けたモノを見る、取る、選択する事になったかが、重要な点でしょう。これについてはもうちょっと文献漁るとかしないとなー、でありますが、一つの視点としては教養の側についていくのを由としなかった、というかこっちのが面白いよ! というプリミティブなモノがあったんだろうなあ、とか。昔の読み物が面白くない訳ではなく、より簡単でより身近に、オタク物件となるモノが生まれていた若しくはあったというのが、一つあるんではないかと。そこより、教養の物はちょっとお高い、色んな意味で、位置にあったのかな、とか。うーん、妄想ではこれくらいしか考えつかん。ちょっと読書の時間が必要だが、それはさておきもうちょっと考えたい。
 教養の元とも言える部分として荒俣宏『喰らう読書術』では色んな全集があり、それを持つというのが教養の一助だった、と言う話があった。

 (前略)歴史的にいうと、世界の団塊世代は、教養主義的な読書で育った世代です。全集や選集、大系や体系、百科や集成がまわりにたくさんありました。後は、読めばいいだけです。汗水ながせば、教養人になれるんですね。
荒俣宏『喰らう読書術 一番おもしろい本の読み方』P234)

 そういう集積があり、それを読めば教養人だった時代があった。こういう元によって、教養が培われると言う話であった。が、今はそうではない。それについても、同じ本で言及がある。ちょっと長いが引用する。

 でも、こんなに親切な読書環境に、一つだけまったく考慮に入れられてない問題がありました。それは、キチンと構成された知の枠組みから除外された「その他大勢」の本をどうするか、という問題です。
 教養主義の書物群は、文字どおり、教養のための読書を強要します。無駄がありません。そのかわり、無駄と判断された本は表面から排除されました。
 (中略)戦後に団塊世代が小学校に入学し、自律的に本を選んでいく時期は、戦前の書物がほぼ忘却されており、戦後に製作された新しい教養の書籍も、まだ数を揃える段階に達していなかったのです。
 戦前本がパージされ、戦後本はまだ未成熟。そういうとき、団塊の少年は何を読んだのか。とりあえず粗製乱造される安ピカの読み物です。でも、それらの出版物には「目的」がありました。「楽しませる」という要素です。漫画をはじめとする少年読み物には、熱中できるのです。
(同上 P234〜235)

 詰まる所、教養ががたついていた所に、新たな本とかあるいは文化への付き合い方の一つとして、オタクという視点が生まれたのではないか、とこの文章を読んで考えた次第なのです。そして、オタクの読み方というのは、決して落ちこぼれの読書、落ちこぼれの文化受容ではない、というのもまた確立されたのではないか、とか考える訳なのです。だから余計に、<オタ教養>というのに自分が一応の納得を持ちつつもいぶかしむ視線を捨てられないのかもしれません。どう見るか、それ自体は自由であるべきではないのか。そんな風に。ただ、やっぱり教養的な部分というのはあって、それが自分の中ではどう見てもいいけど、それを他人と共有する場合、どうしていくのか、という立ち振る舞いがそれに当たるのかと思ってみたりします。次回はそういう立ち振る舞いについて書いていけたらいいなあ、とか。あるいは教養とは知識だけでいいのかとかも。まあ適当に。