感想 押切蓮介 『ピコピコ少年SUPER』

ピコピコ少年SUPER

ピコピコ少年SUPER

 大体の内容「ああ懐かしきかなピコピコ時代」。今回は現代の話もありますが、基本は麗しのピコピコ時代。そんな『ピコピコ少年SUPER』なのです。
 にしても、押切せんせの少年時代、青年時代と言うのは色んな意味でネタになる事の宝庫であるなあ、というのが毎度思っていた事ですが、『ピコピコ少年』シリーズも三冊目を数える段階になっても、ネタが溢るる様は健在でありまして、どんだけ濃いゲーム生活送ってたんだよ! と思わずにはいられません。
 さておき。
 この巻で青春というか駄目青春だなあ、と感じ入ったのは、ゴムボート回が最有力でしょう。ちょっと奮発して買ったゴムボートによる川下り、という、青春でないと出来ない冒険、というのが大変良いものでありました。ガキん頃はそういう変な冒険心がむくむくと湧くのは、諸兄も覚えがあると思いますが、それを実際実行する、というとちょっとハードル高くて断念、というのもまた覚えがあるかと思います。そんな中で実際にやってしまうというかなりの馬鹿行動をした押切せんせとそのお友達、というのはなんだか馬鹿に出来る事なのに眩しい物も感じる、なんというか、俺達に出来ない事を平然とやってのけるッ! という某ジョジョの台詞がするっと出てくるものです。その光景が実際に覚えているから色々描けるが故に、この漫画が出来てるというのも、なんだかやたら凄い事な感じも受けます。それだけ新鮮な光景だったんだろうなあ、といいましょうか。そして、その川下りは一回で結局その後は使う事はなく、というのもまた、やっぱり変な冒険心は長続きするもんじゃないなあ、という納得を得たりしますが、それでも一回はやったのはやりおるなあ、という気持ちになります。羨ましい、とはちょっと違うけど、でも、羨ましいという言葉が一番近いでしょう。
 さておき。
 今回も押切せんせのヘイトが溜まった事態の話もあります。好きな女子にいい感じになりかけたと思ったらいきなり軽蔑されるとか、オフ会! 皆でドリキャスを! と持っていったら帰ってくれないか、と言われるとか。心がバッキバキに折れるそういう事を昇華出来る先に漫画があった、というのが押切せんせの救いだったのだ、とは思うんですが、いくらなんでもそういうエピソード豊富すぎるでしょ、押切せんせ。それゆえにこの漫画描けてる、飯のタネになってる、というのはありますが、にしたってねえ。
 そして、ヘイトが現代でも溜まっている、というのは諸兄も知っていようかと思いますが、その話でネタとして昇華出来てるようで出来てないのが、この巻の最終話。今までヘイトの吐き出し口だった漫画がヘイトの入り口になる、という悪夢の中で、自分を糞袋とまで言って凹んで、更にこの状況でゲームするってどうよ、ってなっている押切せんせには涙を禁じ得ません。しかし、最後にはゲームするンだ! という友の言葉でゲームに飛びつく、というのもまた、涙を禁じ得ません。ゲームがあったんだ、今まで俺にはゲームがあったんだ! というのはなんというか、救いとはこういうものなのかなあ、という気持ちになったりすうrのでありました。