感想 沙村広明 『波よ聞いてくれ』1巻

波よ聞いてくれ(1) (アフタヌーンKC)

波よ聞いてくれ(1) (アフタヌーンKC)

 大体の内容「どうなっちまうの私の人生!」。オンナミナレ25歳。いきなり失恋ダメージでの飲んだくれからスタートするこの漫画。その時の会話の取り留めの無さが、そのままこの漫画の整然と混沌とした雰囲気にぴったりというくらいにどこ行くのー!? という迷走感大爆発がお送りされるのが、『波よ聞いてくれ』なのです。
 沙村てんてーの現代劇物だと、やはり竹易てあし名義の『おひっこし』が脳裏に焼き付いている諸兄も多いかと思います。あの漫画の名言精製力の高さはそのまま沙村てんてーの天才性の表れでありまして、それをどうしてもこの作品にも求めてしまうのはやんぬるかな。と思っていただきたい。そう言う側面で見る場合、この漫画の名言精製力は低めと言わざるを得ません。『おひっこし』が例外的に高過ぎたという考えも可能ですが、そういう意味ではまだ余力があるなのでは、という風に見てしまうのもこれまたやんぬるかなと言えましょう。
 とはいえ、それでつまらないのかというと、ばっかお前。ばっかお前! ですよ。この漫画『波よ聞いてくれ』は名言力で戦う漫画じゃないのです。通奏低音がありつつ、しかし状況はどんどんカオスに、だが何かの一点に向かって収斂していく。と、いう風に見る事もできます。実際の所は、これどこに終着するんだろう。という不安がひたすらある展開です。ミナレさんはどんどんとラジオの世界へと足を踏み入れる、までの時間が十二分に使われているというのが現状です。住んでいたアパートは自業自得で追われラジオの伝手でなんとか居住地を確保、止めるかどうかのカレー店は店長が倒れてなし崩し的に勤めるままに。そこのコックには告られるけどちょっと雰囲気に酔ってるし、ラジオの持ち回りの時間は試験放送の時間帯じゃねえか! というので、本当に状況が錯綜しております。この混沌が、如何にストーリーを駆動させるのか、というのが見所なのですが、もうちょい巻が進まないと、判断し辛い部分であるとも言えます。どんどん状況が回り、本流なのか傍流なのかわからない道筋というのを名言力は高くないけど、やりとりとして十分に面白い会話の妙とミナレさんの色んな意味で揺れる心をきっちりと描写する様によって綺麗に魅せるジョブは流石に帯に天才と書かれるだけの御仁であります。
 それにしても、麻藤さんはミナレさんに何を見たのだろうか、というのがこの漫画のキーの一つ。ちょくちょく名の出る謎の芸人シセル光明とミナレさんとの関係は? 単なる他人の空似声なのか? それとも、ミナレさんには何か通じるものがあるのか? というかなんで素人に大役ではないにしても、ちゃんと役を与えて一から育ててみる気にになったのか? ここにはきっちりとした筋道があるように見えます。ように、なのでその筋道が擦れ擦れであり、あるのを仄めかしているだけで意味が無いかもしれないまで想定してしまいます。そう言う意味では、この会話の妙と心情の妙でのごり押しにも見えるこの漫画が、案外こっからが濃い物になるのでは、という気持ちにもなります。ぶっちゃけ1巻段階で面白いけどどうしたいんだ、どこに行きたいんだ。そういうのが見えないけど、でもなんとなくちゃんと片をつけてくれるのではないか。それも大層面白く。そういう信頼が何故か湧いてくる、『波よ聞いてくれ』はそんな漫画なのであります。