感想 鈴木小波 『ホクサイと飯さえあれば』1巻

 大体の内容「飯さえあれば大概のことはなんとかなる」。そういう事実を、しっかりと感じさせてくれるほっこり自炊漫画(帯より)。それが『ホクサイと飯さえあれば』なのです。
 大体の内容で言いたいことのほぼ全てが網羅されている感がありますが、それでももうちょっとどういう漫画化という説明を致しますと、『ホクサイと飯』の時代より8年前。山田文子女史がまだギリギリ女子と名乗れた時代のお話であります。でも、やっていることは『ホクサイと飯』とほぼ同じ。楽しいかな、自炊ライフ。美味そうかな、自炊飯。つまり、最近流行りのお一人様系食事系の一派でありますが、そことの違いは明白にあります。基本お一人様は一緒に食べる相手がいないもの、だからお一人様なのですが、それゆえに己の台詞に対するカウンター、つまりツッコミが不在。しかし、『ホクサイと飯さえあれば』にはホクサイという謎のぬいぐるみ、それも言葉をしゃべるぬいぐるみの存在があり、これがツッコミ役として機能しているのです。そこが、他のお一人様タイプとの差異となって立ち上がっています。まあ、ブンさん(山田“文”子だから、ブン)の場合、ホクサイをしてツッコミきれない破天荒な部分もあるので、この漫画にツッコミがいなかったら成立しないという方が正しい認識かと思います。
 それ以外にも、この漫画の他のお一人様と違う点があります。それは一緒に食べる人の存在。『ホクサイと飯』の乙女さんと同じベクトルの、大学の友達になった有川絢子さんと、謎の男子、凪がそれに当たります。とはいえ、一人飯が寂しい、ということでの導入で無いのは留意したい所です。凪に語っていましたが、一人飯と一緒飯ではベクトルが違うんですよ! というのを提示しておるのです。一緒に食べるのより、一人飯の方が美味しく楽しめる! 話しながら食ったら美味しかったかどうか分かんないでしょ! とは言ってますけど、一緒飯も楽しそうに食べていたので、その辺はガチガチに理想論があるんじゃなくて、ご飯が美味しければそれでいいのよ。というこの漫画の居住まいを感じます。
 さておき。
 しかし、ブンさんは本当にブレがないというか、自炊モンスターとでも言うべき自炊erであります。それだけの手間がかかるなら、というのは絢子さんも言っていますが、そこは自炊er。自分で手間をかけた方が、美味しくなる気がするんだ、という模範解答をしております。その辺は、若干の自分酔いも混ざっているのでしょうが、楽しい自炊の為なら手間なんて関係ない。と大っぴらに言いきっているブンさんは熱いです。実際、その自炊の物は手が込んでいます。自家製マヨネーズや、自家製甘酒、牛すじカレーなど、どれもこれも手間や時間が掛る物。しかし、それを作ることに、ブンさんは迷いありません。自炊することが生きることだ、とでも言わんばかりの自炊erっぷりです。この自炊することへの躊躇の無さが、他のお一人様やお食事系漫画とは違う、もう一端であります。ガチ面倒なのをガチ作る。それがこの漫画の彩りなのです。
 さておき。
 そのガチ作るのインパクトが存分に味わえるのが、一話目。大学に通う為の新居についたブンさんが、新居最初飯をする、という話ですが、それがなんでそんなに気合が入ってるんだ、ってくらいにガチで飯作りの算段を作り上げていたブンさんが、しかし引っ越し業者が来ない! というので目算であった高級炊飯器炊きを諦めて、空いたコーラ缶で炊くという荒技をするのがハイライト。そこまで新居最初飯にこだわりを持つ辺りがブンさんの非凡な所というか、マッドな所です。その後、上手く炊けてテンション高めになって引っ越し業者の人を困惑させる所も、非凡な所というか空気読まない所です。まあ、怒ってた訳ではない、飯が上手く出来たらそんなの吹っ飛びングしてるというので引っ越し業者さんも安心して仕事してましたけれども。でも、あれはちょっとヤバい案件だと思っちゃいますヨネ。神楽舞って、箒ぶん回してるだけだったし。あれだけみると相当ヤバイ人だよなあ、ブンさん。つまり、そういうブンさんが飯を作って食べていく漫画。それが『ホクサイと飯さえあれば』であるのですよ。