感想 石川博品 『メロディ・リリック・アイドル・マジック』


石川博品 メロディ・リリック・アイドル・マジック
(画像、文章共にAmazonの物理書籍ページにリンクしています)

 大体の内容「彼女たちはアイドルになる」。沖津区。それはアイドルでなければ生きていけないアイドルの巷。そこで、少年少女はアイドルを目指す。果たしてその行く末とは。そういう内容なのが、『メロディ・リリック・アイドル・マジック』(以下メロリリ)なのです。

ネタバレなしな紹介

 この話は、アイドルの話です。これは題名からすぐにわかるかと思いますが、どういうアイドルかというと、メジャーなアイドルでもなく、地下アイドルでもなく、ろこどるでもなく、アイドルです。何を言っているのかわからないかもしれませんが、実際にそうなのでどうしようもありません。アイドルである女の子たちと、それを見守ることになる男の子たちの話なのです。
 ぶっちゃけますとこの話の登場人物たちのいうアイドルは地下アイドルが一番近しい雰囲気があります。高校生が自主的にしているアイドルですから。しかし、そうではない、と登場人物である津守国速(クニハヤ)はいいます。

「地下アイドルというアイドルはいないっスよ」
(中略)
「どんなアイドルにも、アイドルってだけで恩寵の光が当たります。地上とか地下とか、そんなの関係ないんですよ」
(P209)

 この台詞こそ、この小説がアイドルに真摯であるということの証左として提示されるべき点でしょう。適当にアイドルを扱っているのではなく、適当に高校生を扱っているのでもなく、あくまで真摯に。それが、この小説の根底にある良さを引き出しているといってもいい。登場人物でメインパーソナリティである吉貞摩真(ナズマ)の生きにくい理由も、尾張下火(アコ)の自分を罰したいと思う気持ちも、生半な気持ちで書いている訳ではなく、真摯真剣に書いている。それが伝わってくるのが、この小説の最大の特徴でしょう。その意味において、石川博品は信用できる作家さんです。その点は強く言っておきたいと思います。
 さておき。
 この小説は少しトリッキーな構成をしています。先に書いたナズマとアコ、この二者の視点が章ごとに入れ替わるのです。ヒロシナーに分かり易く言うと『ヴァンパイア・サマータイム』と似た構成である、というのが妥当でしょう。しかし、その小説とこの小説とでは、切り替わりによって起こることの彩度が違います。ヴァンサマはヴァンパイアの夜と人間の昼が交錯する合間を書いた話ですが、メロリリは明確に見えるものが違います。これはナズマとアコ、両者の視点で見えるものがガラッと変わるからです。
 ナズマサイドでは、ナズマの特異な点、音が映像として存在感を持って見えるという部分がクローズアップされます。このある種特殊能力は、しかしナズマには大変疎ましいものなのですが、それゆえにある特殊な物を見つけてしまうという流れを持っています。
 アコサイドは、アコが口下手であまり濃い反応をしないけれど、内心ではたくさん言いたいことを溜めている、というのが描写されます。これも言い変えればアコしか知れない、見れないものであり、しかしナズマのそれとは方向性が違っています。ゆえに、その見えるものが非対称性を持っている、と言っていいでしょう。これが、ある種往復書簡だったヴァンサマとの明確な違いです。
 さておき。
 この主体が切り替わることによって、ちょっと面白い副次効果もあります。それは、ナズマ視点からのアコと、アコ視点からのナズマの見え方の違いというものです。ナズマ視点からするとアコはちょっと口数少ないけど可愛い子、アコ視点からだとナズマはなよってるけど妙に頼りになるところがあるやつ、という雰囲気です。しかし、それぞれの内実を知っている読者からすれば、それは全然違うというのが分かるわけで、しかしこの思い違いも悪くないな、と思わせてくれます。きっちりと相手を理解する、というのはそうそう無い、理解しているつもりでもそうではない場合もあるのが常な訳で、だから行き違いがあるくらいが丁度いいのかもしれない。そういう風に思ったり。そういう微妙な機微があるのも、この小説の良いところでしょう。
 さておき。
 石川博品作品の良さ、というのをニュービーの方に語るのを忘れていましたので今します。それは流麗なリリックでしょう。デビュー作『耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳』ではその流麗さをもって下らないボケネタをずるずるとつづり、また登場人物の気持ちを素晴らしさを持って語ったそれは、この小説でも健在であります。するっと入ってきて気持ちのいい地の文回しと、以前のずるずるしたのからすっぱりと短く、しかしそれによってより切れ長になったボケネタが、心地よい連打をしてこちらの心を持っていきます。個人的なことを言えば、持ち味はやっぱりずるずるしたボケネタの味わいだと思うのです。でも、そこをあえて排してこの単発連打戦を仕掛けてきた石川てんてーの心意気やよし! という気持ちになるんですよ。この辺の機微はニュービーの方にはわかってもらえないかもしれません。が、石川博品作品を知悉していくとだんだんわかってくることです。
 ということで、軽く紹介というかなんなのかな文章書きましたが、実際の所、この作品の出来栄えは会心の一撃というレベルです。紹介と言いながらまとまりがなくずるずる書いちゃうくらい、素晴らしいのです。石川博品てんてーを今まで敬遠していた人にも、是非お勧めしたい。そもそも石川博品てんてーを知らない人にも、是非ともお勧めしたい。石川博品てんてーからちょっと離れてた御仁にも、是非お勧めしたい。アイドルという今らしいとっかかりから、この話が自分にするっと入ってくる様を、是非たくさんの人に知ってもらい、そしてこの話の続きが出る世界線に移行したい。そう思って紹介という名の何かを書いた次第です。これで読む人が増えれば万々歳ですよ。
 さておき。ネタバレしたい気持ちがまだ残っているので、下に書いておきましょう。読んだ方だけ読んでいただければ。

ネタバレありの感想

 いきなりですが、アコさん可愛いですヨネ。内心が分かる、というある種小説だから出来るマジックのおかげで、可愛さ三倍段と言えるものがありました。特に、内心が意外にも結構ノリがいい、という部分と、でも出るのは「うん」とかだけというので、それでLEDでどうやって生きていくつもりだったのかと思わざるを得ないところが大変いいと思います。でも、わりとナイーブな子という部分は案外崩れなかったな、とか。LEDへの想いもありつつ、でもそれをしてはいけない、と父の死にナイーブになってしまっている辺りが大変悲しさを出していました。その辺の呪縛が完全に解かれた訳でもないでしょうけれど、それを、アイドルをする、ということの意味を知って、ある程度ながらでも乗り越えたのは拍手喝采ものでありました。
 拍手したいのは、ナズマの方も。最終的にアコ母をこてんぱんにしちゃったのも当然いいんですが、アコがアイドルになった、ということで、恋愛に持っていけない。というのを肌で理解して、腑に落ちちゃってるところが拍手のしどころでしょう。それは大変に辛い選択だからこそ、でもアコの持つ物、ナズマだけが見える才能の、〝決して消えない光”を目にして、それを輝かせたいと思ったからこそ、そういう選択になる、というのがいいんですよ。そこで妙な混同を見せないのが。でも、この部分は結構ずっと引きずれると思うので、続刊があれば揺れるところとか超見たい見たいです。どう揺れて、どう落ち着くか超見たい見たい見たい。
 それはさておき。
 それにしても、先に才能の、とか書きましたが、実際の所、ナズマがアコに見ている〝光”は才能なのか、それとももっと別のなにかなのか、というのは気になります。パッと見見栄えはいいアーシャも、テクニックが優れている百合香さんにも、それは見えなかったというのが、一つ不思議だったり。どういう才能があれば見えるものなのか。音が形をもって、というのから考えれば、それは声が持つ力、という風に解釈すればいいのかしら。となれば、その光はやろうと思えばもっともっと広くに響き渡らせられる、照らしだせられるんだろうか、と思うと、この話の行く末があれば、なんかとんでもない話になりうるのではないか、とか思ってしまいます。そういうとこまでいかないのかもしれないけど、ちょっと夢見たいですよ。ナズマみたいに。
 それはさておき。
 ツイッターでちらちらと感想ツイート見てたりもしますが、その中でこの話の最重要部分、「アイドルになる」という部分での、百合香さんの「いまやれ! 早くやれ! うまくなるのを待ってないでやれ!」が色々な所、創作系に響くな、というのがあって膝を打ったりしたんですよ。これは置換すれば、『ベルセルク』の所謂「気の長ぇ話だな」と同じ意味合いであるなあ、と。でも、このことをナズマとアコはお互い自身寄りに解釈しているのが個人的に良いなと。同じようなところでも、積み重ねとか境遇とかの違いで、変わってくるものなんだなあ、と。アコは選ばれること、ナズマは選ぶこと、そういう点が違うなあ、とか。これもある種非対称性ってやつかもしれませんね。はい、非対称性って言いたいだけです!
 さておき。
 ここまで長丁場でしたが、だいぶ書きたいことは書けたので、そろそろ満足してしまいました。最後に、もっとたくさん売れて、続編が書かれることを切に祈るばかりです。いやでも、本当に面白い一作でしたよ。と書いて、この項を閉じたいと思います。