明るい記憶喪失 1 (MFC キューンシリーズ)
(画像のリンクが物理書籍のページ、文章のリンクがkindle版のページ)
大体の内容「記憶喪失から始まるミラクル」。突如記憶喪失になってしまったアリサさん。ちょっと状況が呑み込めないところに、彼女である、という女性、マリさんがやってきて……。というところから予想外の方向性を見せるのが、『明るい記憶喪失』なのです。
記憶喪失と百合。合わさるとどうにも悲劇的な雰囲気を感じる方もおられるのではないでしょうか。しかし、いつから記憶喪失が悲劇になると錯覚していた? という問いかけがいきなりできるかと思います。そう、記憶喪失であるにも関わらず、アリサさんは大変ポジティブなのです!
なにせ、マリさんが恋人だ、と言った段で混乱とか驚愕とかではなく、いやある意味驚愕なんですが、嬉しい! ってなってしまうのです。そこから始まる再びの恋人生活が、この漫画の骨子でありますが、そのポジティブさのせいで暗い雰囲気など全くなし! ああ、あついあつい。と言うしかないラブラブ生活なのであります。むしろ、恋人としての積み重ねがあるからこそ、再度積み重ねるのがアリサさんには新鮮! 偶に記憶にないがゆえの以前の距離感との残滓を見て、落ち込む、のではなくそれを羨ましがる辺りが本当にモノが違います。どこまでもポジティブに、今のマリさんとのいちゃラブを堪能するのです。ぶっちゃけアリサさんの精神性が化け物過ぎるんですが、それでもだからこそ暗くならない、という部分があります。
というよりも、我々は記憶喪失というのに悲劇性を求め過ぎていたのだ、という言い方もあるいは可能です。あまりに、記憶が無いことを悲劇姓として消費し過ぎて、そこが喜劇性があるどころか幸福ですらある、という地点を見逃していたのではないかと思うのです。そのことを、記憶が無いのに全く物怖じせずマリさんをいちゃラブするアリサさんには見せつけられるものがあります。いや、まあね、あなたはもうちょっと記憶が無いのを省みなさい、とも言いたくなるんですが、その声自体が既に記憶喪失=悲劇の公式から浮かび出る忠言であるとも言えるのです。そこを我々はもう少し、鑑みなくてはならないかと思います。
とはいっても、本当にアリサさんは一途です。記憶が無い辺りの、マリさんとの邂逅の話を聞くだに、思い込んだら一直線という精神性なのは分かります。そして、自分の好みというのに対して全くぶれない。記憶が無い時に恋人になったこの人素敵! ってあっさりなる短絡的とも言える思考はどうなのかとも思うのですが、それだけ自分の視点に信頼を置いている、以前の自分の見る目と今の自分の見る目を同一視しているというのがあるんだろうなあ、とも。自分に対する自信、というのとはちょっと違って、たぶん意識しないけどマリさんと通じ合うものが、瞬間的にあったのだろう、という感じです。
それはマリさんとの馴れ初めでもわりとそうじゃないかと思わされます。最初はつっけんどんにされたけど、徐々に且つ強引に近づいていっていたら、相手が折れて、そして……。その馴れ初め部分が無い分、余計にアリサさんとしては労がなく落ちてきた感もあるのかもなあ、とも。
さておき。
この漫画は基本的に明るい話ですが、暗い話が出来ない訳じゃないのです。マリさんが、アリサさんが帰ってこなくて心が、という小話が最後の方に忍ばされています。いつの間にか、アリサさんが大きくなり過ぎていたマリさんの、その心の、がちょっとなのにピリリッと効いてきます。その後に引きずらないんですが、その話があることでこの漫画が謹んで明るい話にしている、というのが垣間見えて、成程サンデーじゃねえの。という感想がするっと出てくるのです。そういう話じゃねーからこれ! という奥たまむし先生の志と勇気。この後どうなるかは未知数ですが、見守りたいかと思います。