トクヲツム 『伊勢さんと志摩さん』1巻

伊勢さんと志摩さん 1 (芳文社コミックス)

伊勢さんと志摩さん 1巻 (ラバココミックス)

 大体の内容。「アラサーのルームシェア。そそるぜ!」。というどうでもいいことはさておき、ちょっと男前な伊勢さんと、ちょっと可愛い系志摩さんの、その実をしっかりみせつつ緩やかにルームシェア。それが『伊勢さんと志摩さん』なのです。

 最近の漫画市況というのは大変捕らえづらくなっているのですが、それゆえに偶に妙なニッチ具合で、しかし自分の心の琴線をぎゅいんぎゅいん、それも『必殺仕事人Ⅳ』の仕事シーンで奏でられるテーマ、その開幕いきなりのエレキギターばりのぎゅいーん加減で奏で流れ落ちるその旋律をもってかき鳴らす作品というものに巡り会った時の感動というものは筆舌し難いのです。私にとってのそういうタイプの作品が、この『伊勢さんと志摩さん』なのです。

 ではどういう内容か。大人の、女の人の、ルームシェア! というので一瞬よぎるようなことはありません。考えましたか? 何たる不埒!

 ジョークはその辺にしますが、伊勢さんと志摩さんの、平坦ながら起伏にとんだ毎日を活写した作品、と言えば言えそうです。努力目標を設定し、それをこなそう、という部分はありますが、それは本当にアクセントで、それにきっちりとかっつりとやっていくという漫画ではありません。繰り返しますが、大人の、女の人の、ルームシェア! 以上のものは出てこないのです。サプライズしたり、雨に濡れたり、意識高いを目指したり。そんな毎日です。

 それでは退屈なんじゃないか? と言われましょうが、退屈、だからこそだろうがっ!! なのです。コミックマスターJ面でそう言います。それだけ、と言えばそこまでの生活を、しかしきっちりと活写することで十分に読ませるものにしているんだなこれが。それだけで、中々に感動的です。ここの感動具合は、個人的には乃花タツ『なり×ゆきリビング』めいたアトモスフィアの残滓を求めた所ゆえとは、否定しません。しかし、求めた、だからこそだろうがっ!! と再びコミックマスターJが参ります。全ての漫画は、あるいは創作はとすら言えますが、誰かが求めているのです。ここじゃないかもだし、今じゃないかもですが、誰かが求めているのです。そこに辿りつくこの感じ、いいのですよ。届けられたという感覚、嫌いじゃない。好き。

 さておき。

 大人のお姉さんが特にキャッキャウフフはしないけど楽しそうにしている、あるいは悲しい時もある。でも、そういうのを含めて生きている、というのは中々良いもんです。あるいは男の人でもそうだろうと推察できるので、古今東西老若男女、どこも問わずに人が楽しそうにしているのは楽しいもの。そういうことなのかもしれません。

 この漫画はその前提になる話とか、ちょっと悲しいけどしょうがないねな話とかもあり、だからこそ楽しい時って楽しいよね! でも悲しい時も悲しいよね! という塩分バランスをしていて、そこが信頼性に繋がっている部分があります。楽しいだけで糊塗しない、でも上書くことはある。そういう立ち回りですね。

 特に、伊勢さんと志摩さんが高校時代にかなり距離と壁があったのが、縁あって保健委員で一緒に、というのからしばらくすると壁? ってなっていく、という話が顕著。仲良くなる、でも時間が足りなかったなあ。というので卒業とともに分かれて、というのがちょっと悲しい気分にもなるのが良かったです。ちゃんとこの漫画の題を見ていただければ、その後は大体ご想像通りですが。その辺の展開もまた良いものなのです。縁は異なもの味なもの、が一番しっくりきますね?

 ということで、大人の、女の人の、ルームシェア! というのにフックがびんごびんごする人なら全く問題ありません! と判を押したい出来栄えです。あるいは、とくになにもないこそがある系統への導入としては結構最適な一作であるかと。と、かなり高度な位置に据えるようなことをいいつつ、この項を閉じたいと思います。