感想 篠房六郎 『おやすみシェヘラザード』1巻


おやすみシェヘラザード(1) (ビッグコミックススペシャル)
(画像のリンクが物理書籍のページ、文章のリンクがkindle版のページ)

大体の内容「(語るのが)下手ァ!」。とある学園の一室で繰り広げられる、超とドのつく下手くそ映画語り。それが『おやすみシェヘラザード』の全容なのです。
この漫画の超絶なところをいきなり話しますと、とにかく箆里先輩の語りが下手なのです。とにかく下手なのです。二度言うくらい下手なのです。これで三度だ。
どれくらいかというと、要領を得ないのは序の口で、自分の感情の昂ぶりを抑えないから勝手に笑いだしたり泣き出したりで傍から見ているとしらける形になったり、いきなり謎の行動を挟んできて引かせたり、何度も言いますがとにかく下手なのです。
これが超絶なのです。何故超絶かと言うと、普通の考えではそういう事をするとその作品に対してエンゲージする妨げになり、映画ネタ系としては障害としかならないからです。ですが、この漫画はあえてそこに踏み込みます。それを超絶と言わずしてなんと言えばいいのか。
本当に何度も言いますが、箆里先輩の映画語りは下手くそです。酷いと言ってもいい。しかし、これを創作するというのが如何に大変か。伝わる熱意を描くのは、それなりに考えやすい方向です。しかしどうすれば、熱意はあるけど伝わらない! が可能になるのか。そこへの思考実験として立ち上がっているといった方が分かりやすいでしょうか。篠房六郎先生は毎度どうしてそこを攻めるのか! という攻め方と立ち回り方をする漫画家ですが、今回もその例に漏れません。下手な語り口を語る、という一周回って知らない世界に、我々を誘うにしてももうちょっとソフトに行けばいいのに、かなりダイレクトに下手な語り口を語ります。聞いていたら、寝る。という形で。他人の話を聞いていて眠くなる、その最終工程に移って寝てしまう、というのがどれだけヤバいか、というのの証左として顕現してきます。そして実際、箆里先輩の語り口を読んでる方も眠くなってきます。迂遠だし、要領を得ないし。この辺も超絶と言っていい部分でしょう。
そして箆里先輩が超美人である&全体的に百合い世界という部分は煙幕にすぎません。推してきてもわりと緩めです。その部分はじっくりと積み重ねてきていますから、いつか変転する可能性はあります。そうなった時にこの漫画の評価が裏返るかもしれませんが、それでも主軸はやはり下手くそ映画語りです。その辺を間違えないように。
さておき。
その下手くそな映画語りを読んでいる方としては、その映画は気になるか? というのもこういう漫画なので当然見られるべき視点です。
でも、下手くそだよ? 気になる訳なくない? と思われるでしょうが、これが案外気になるんですよ。一発目である『裏切りのサーカス』とか、あまりに要領を得ないせいで余計に見たくなるという謎の状態にさせられました。なんか楽しそうなんだけど、何が楽しそうなのかよく分からないから、むしろ、という形ですね。ある意味で、熱意があれば伝わる、ということの良い意味でも悪い意味でも示唆しているなあ、と遠い目になったりします。
さておき。
個人的にこの巻で攻めていると思ったのは『第9地区』回。映画説明が違うことの説明と混ざって混乱を招くのもありますが、ただひたすら2ページ近くにわたって、箆里先輩が自分の所に映画の話を聞きに来る数を数えるだけという亜空の展開が攻めているというか、攻め過ぎというか、数えているだけなのに妙なドラマ性があって堪りませんでした。本当に攻めるなあ!
とかなんとか。