とよ田みのる 『金剛寺さんは面倒臭い』3巻

金剛寺さんは面倒臭い (3) (ゲッサン少年サンデーコミックス)
金剛寺さんは面倒臭い (3) (ゲッサン少年サンデーコミックス)

 大体の内容「あくまでこの漫画はラブコメであるッ!!」。そう言う風に脳に言い聞かせておかないと、展開のハラショー具合に脳がてきめんにやられてしまう。そんな漫画が、『金剛寺さんは面倒臭い』なのです。
 テンションが、特に展開とナレーションの、おかしいのは今に始まったことではありまえせんが、今回は、チッスをしたらミサイルを撃退! 他何本かです、と宣言してしまうくらいにかっとんでおります。挙げるくらいですから、チッスの方はもう勢いの度が過ぎております。そこに至るまでの経緯、あらゆる伏線がきっちりとミサイル撃退に流れていく様がとにかく、とにかく常軌を逸しているのです。ちょっとした喜びが生み出したちょっとしたことが積み重なって、一つの結実を見る。そこに伏線的な流れはあるけど、でも本筋はそこではない。その結末を導いた、一つの愛の形こそ重要なのだ。そう思うのです。(ガンギマリの顔で)
 訳の分からない言葉はさておき。
 今回のチッスの良い所は、それによって金剛寺さんの人生最良の日になったことです。チッスの日に、勢いチッスした樺山君が嬉し泣きで雨を呼んでしまったけど、その雨こそが祝福だった、というのを金剛寺さんがそれ以後、何十年も雨を見るたび思い出す。そういう話が挿話される訳ですよ。そして、雨の日は眼鏡に雨だれが落ちてぼやけるけど、それが更にその日は心地よいものがあった、という話に。それを、眼鏡を樺山君に渡して、自分は弱い視力でぼんやりと、樺山君は眼鏡に雨だれでぼんやりと。という風に分かち合うんですよ。ナニコレ尊百景。眼鏡という要素をこう使ってくるというのは初めて見たので、なんというか、してやられたわ! ってワーレン声になってしまいました。こう、分かち合うかー。
 そして更に、金剛寺さんは宣言します。樺山君をお婿さんにすると! その為にすることをしないといけない! という辺りが金剛寺さんですが、でもこれは力強くこの漫画を変えていくワード足り得ます。
 実際、この回以降、この漫画は更なる飛躍を遂げます。金剛寺さんの先が提示されたり、あるいは金剛寺さんパパの過去話が開陳されたり、あるいは樺山君の過去話があったり、あるいは樺山君が金剛寺さんじゃない人に告白されたり。でも、どれもこれも金剛寺さんが樺山君をお婿さんにする、という宣言の余波で当然押さえておくべき場所、という見方をしてしまいます。それだけお婿さんにする発言はでかいと思っていただきたい。
 ですが、この漫画なのでそれがまともにやっている訳が全然ない。金剛寺さんの先の話は破壊しつくす感じなテンションの高さでガンガン突き進みますし、金剛寺パパの過去話は最初何がされていたのかよく分からないまま特に過去話という宣言なく突き進みますし、樺山君過去回は重い話を上手く中和する形で突き進みますし、樺山君が別の人に告白される話は無茶苦茶なオチへと突き進みます。とにかく、突き進むという言葉がこれだけ似合う漫画もないな、というレベルで突き進んでいくのです。ここまでテンションが亜だと、ある種狂気のようにすら見えますが、実際の所は高いレベルで統御された漫画です。理性があるからこそできる。大人だから、やるんだろお! なテクニックなのです。幾分に理屈がきっちりし過ぎていて、且つ丁寧だからこそ生み出される、進展の突き進み感、とでも言いましょうか。とにかくこの話はハッピーエンドなのだッ! という強い意志力も加わって、当代でも相当ぶっちぎったレベルの漫画に仕上がっているのです。そもそもいい話を描く漫画家さんだったとよ田みのる先生が、その力をシュウレンして解き放つ。それが強度がおかしくない訳がない。間違いなく面白い。そう言える漫画に仕上がっている、と言えましょう。にしても、ちょっとナレーションのテンションが亜空の瘴気レベルなんですがねえ! もう。好き。
 そういう部分が生半可なハッピーエンドじゃ、満足できねえぜ! という向きにはヒットするのは間違いないので、ハッピーエンド厨を自称される方は、マスト見てください! とシャクティ声を出して、この項を閉じたいと思います。