ネタバレ?感想 小林銅蟲『めしにしましょう』8巻

めしにしましょう(8) (イブニングコミックス)
めしにしましょう(8) (イブニングコミックス)

 大体の内容「まあ、なんやかやありますが、めしにしましょう!」。ということで、剛毅豪徹のご飯作るよー系漫画、『めしにしましょう』、堂々の完結となりました。オチとしては「よし落ちた! 終わった!」という古の古語がよく似合う、9人の戦鬼と人の言う感じですが、きっちり終わったのでその点をまずは褒めるというか、感嘆するというか、とにかく感情を発露しないといけないんですよしゃらー!
 それというのも、この漫画が、終わる……? と惑乱するくらい、オチがどこにあるのか不明だったのです。一応、マダレ先生の連載終了と、青梅川さんの連載開始というターニングポイントがあったので、そこに向かって終わっていくのだろう、という見当はそれなりにはついていました。しかし、なんかそこに行くのか行かないのか、とにかくそれより飯だろ! という腕使いで進んでいくため、このまま剛毅な料理作り続けていくだけで永遠に続くのでは? という錯覚に陥ってしまいました。なので、この巻で終了と言われても? え? 冗談? ってなってしまったのです。
 しかし、この漫画はここで終わります。色々と無茶苦茶なところが多々ある中で、終わっていく寂しさ、というのをきっちり見せて、しかしやっぱりめしだろ! というムーブで終わっていくそのらしさ! 最終回の料理が子豚の丸焼きというある意味究極のものだったのも、最後だから、全てを、振り切るぜ! という照井竜顔になってくるこの漫画らしい〆で、これ本当に作ったんだろうからすげえなあ、としか語彙が発露出来なくなりました。
 そもそもこの漫画は飯系漫画としては常に極北であり続けたといえるかと思います。常に美味いことのみ、あるいは思考の発露を実現することのみを目指し過ぎて着地点を見誤ることも多々あった、というのが既に極北です。ひたすらコンソメを追求し過ぎて謎の液体が出来た回とか、極北なこの漫画でも特に極北でした。そこまでする精神性!
その、美味いを超えるくらいに美味い追求する姿勢は、ライフタイムでリスペクト出来るもの。ある意味ではなんたる狂人の戯言! なんですが、しかしあまりに姿勢が極端すぎるのでリスペクト以外の行動がとれないというか、リスペクトという言葉が持つ抑止力を活用しないといけないレベルだったのは事実です。それがいいんですが、でもそこがなあ、という発言をしたくなってしまう、それもまた魅力的でした。
 この、作ってみたいとか食べてみたいとかを次元レベルで超越した料理群というのは、思い起こしてみるとやっぱり俺はもうヤバいと思う。そんな世界にある料理でした。食いたいとかじゃなく見てみたいという感想を持ってしまう料理。それを何年も作り続けた、と思うとこれは人類史に残る異形なのでは? と正常な思考をしてしまいます。そのせいで太ったので次の連載はダイエットだ! という展開も含めて、強度のネタ漫画でもあったんだなあ、と今大悟しました。そうか、ネタ漫画だったんだ! と書いて、この感想を終えようと思います。ネタ漫画だったんだ!←リフレイン