感想 嶋星光壱:島田荘司 『漱石の倫敦ミイラ殺人事件』1巻

漱石と倫敦ミイラ殺人事件(1) (チャンピオンREDコミックス)
漱石と倫敦ミイラ殺人事件(1) (チャンピオンREDコミックス)

 大体の内容「漱石、ホームズに出会う!」。1900年、夏目漱石は倫敦に渡航シェイクスピアの勉強の為でしたが、その時に、宿で怪奇現象に遭遇。宿を転々とし、どうしたものか、となっていたところで勉強先の先生に、ならあの男に話してみてはどうだろう、ということに。藁にも縋る気持ちで、でも先生の口ぶりからヤバそうだよなあ、とも思いつつ向かった先。そこが、ベイカー街221B。そう、かの名探偵、シャーロックホームズのもとだったのです! という超ド級の与太を、一つの作品にきっちり昇華したある意味頭おかしい案件作品。それが『漱石の倫敦ミイラ殺人事件』なのです。
 夏目漱石が18世紀初頭に倫敦に居たのは事実。18世紀初頭辺りにシャーロックホームズが倫敦に住んでいたのも事実。時空間的には、その二者が出会う可能性があるのもまた事実。ですが、その間にはフィクションとノンフィクションという、超でかい溝がある! というのに、その溝が全くない! という立ち回りをぶっこんでくるのがこの作品です。ぶっちゃけ、頭おかしいというか、その発想は無かったというものですが、この作品の凄い所は、その与太を更に漱石とワトソンの手記の二つで視点を入れ替えつつ魅せていく、魔技と言える手つきです。二つの視点があるので、実際あったのではないか? と錯乱をぶっこんでくるのです。どっちも創作なのに!
 この与太具合に、中学生だった頃の私はてきめんにやられました。後に深堀骨作品を見ることで自分の中に落ちる、小説とは与太である、という概念を最初にぶっこんできた作品だと言えるでしょう。そして与太だが、それを事実のようにしれっと話すとこんなにも作品は彩られる! というのも。想像の羽根を、事実とすり合わせることで輝かせる術、とも言いましょうか。とにかくそんな事実はないのにあるんだ! というのを筆力で叩きこむ力というのは本当に凄い物なのですよ。すいません、ちょっと錯乱してます。
 さておき。
 その、中学時代に直撃された一作のコミカライズが、中学時代から25年ほど経って行われるという謎の状態に、混乱は極致にただいま到着します。流石の秋田の赤い核実験場。全く予想の不可能な作品選択手腕。というか、それで喜ぶファンとチャンピオンREDの繋がりが全く感じられない。どういう感情回路なんですか!? レベルで分からない。でも、この作品大好きな私としては食いつかざるを得ない。そういうことで、結構疑心暗鬼しつつ、コミカライズに食いついた訳ですが、これが中々に評価に難しい一作となっています。
 『漱石の倫敦ミイラ殺人事件』は二つの側面があります。一つが夏目漱石の手記。もう一つがワトソンの手記です。原作では、この二つが違う雰囲気で書かれることで、手記としての存在感を出していたのですが、漫画となると画風が変わる訳にもいかないので、その雰囲気が薄れてしまっている、というのがあるのです。
 ですが、この二つの手記が生み出すダイナミズム、というよりは、異なる視点から生まれるシャーロックホームズの虚々実々という部分に関しては、ちゃんとされています。先に漱石ターンでホームズの狂人具合を魅せつつ、ワトソン側で名探偵ぶりを魅せる、というこの作品の面白い所はちゃんとしているのです。
 なので評価が難しい。コミカライズの良さはあるけど、原作よりは違う、というのが。
 この辺が、今後どうなるか、というのがまだ見えていないのですが、それでもホームズ物を漱石視点で見る、という言葉が生むしずる感は大変なものがやはりあり、この漫画で、さてどうそれを見せてくるか。という視点を持ってきてしまいます。二方向からのホームズ物、というホームズ物という訳の分からない作品ですが、事件に突入していくところはやはり楽しい。ならば、最後までちゃんと行って欲しい。
 などと思うのでした。