ネタバレ感想 伊藤明弘 『ディオサの首』2巻

ディオサの首(2) (サンデーGXコミックス)
ディオサの首(2) (サンデーGXコミックス)

 大体の内容「アクション漫画の粋、全開!」。ということで、アクション漫画家としてキャリアもあるし腕もある伊藤明弘先生の、その持ち得る力を全てぶっこんで2巻完結となったのが、『ディオサの首』なのです。
 1巻感想*1でもうちょい続いてくれたらなあ、という願望がありました。もっと深い陰謀とかあるのではと。ですが、2巻完結となりました。話のネタとして、わりと2巻完結でもちゃんとしていたのが印象的です。
 でも、今回の話のガンスリンガー、モニカさんがなんであんなに超絶の銃撃テクニックを有していたのか、と言う部分が全く語られることなかったり、アツシさんが突如愛を語りだしたりして、その辺がまだ何かあったのかしら? という邪推権も発動してしまいます。一応、この話の終わり方の感じから、かなり初手から2巻くらいを完結のめどとしていた感はありますが。
 そういう訳で、細かいところでこれはどうだったの? というのがあるのですが、しかしそれが傷にならないのがこの漫画の頭おかしい所さんです。
 2巻に関して言えば、ほぼアクションです。それも銃VS手持ち武器無しという非対称な状況がずっと続く、というので緊迫度が高い。とはいえ緊張の糸を張り続けるのではなく、偶に弛緩、つまり緩急をいれてくる、というのでもう完全にこちらの気持ちのコントロール戦術は完璧だったと言えるでしょう。伊藤明弘先生、非凡だと思っていましたが、ここまで読者の気持ちのコントロールが卓越していると、ちょっと非凡って言葉でも覆いきれない何かになりつつありますね。
 そんな完璧な気持ちコントロールかましつつ、綺麗に落としておいて最後にボケた話を、オマージュ的にぶっかまして終わる、という構成の妙もまた、この漫画が非凡中の非凡なものだった証明かと思います。
 初手でここどうなん? となったところがある記述しましたが、それに気づくのは終わった後。最後に小ボケが入って余韻に浸り始めたところでです。そこまで、その部分について気になる、と言う事が全く無かった、というので、如何にこの漫画が読者を統御していたか、というのが分かるかと思います。というか、モニカさん、見張り役だったにしてもあの銃さばき尋常じゃないんですが?!
 そしてアツシさんが突如愛を告げたとこも、流れとしては全然問題なく、むしろあそこで気持ち的には既に、と1巻のワンシーンを思い出させて、おお、張ってる! となりさえしました。
 とはいえ、その愛を語りだした辺りでは、まだアツシさんも愛があるけど発見したばかりで戸惑いがあったものでもあり、そこをモニカさんの「うそつき」という言葉で端的に表している、というのも分かりつつ、でも最終的には愛だ! と結実していく、腹をくくって行くというのもまたスゴイ。どういう球投げとんねん! という気もします。
 というのも伊藤明弘先生が愛の話というのはあんまり描かない、というかそういうのが出るのとお話が相性悪かったりしたので、あんま出てこなかった要素なんですよ。話の中核、というのにそれがあまり関与しないんですよ。『ベル☆スタア強盗団』でも『ジオブリーダーズ』でも『LAWMAN』でも『ワイルダネス』でも『ABLE』でも、傍流としてはあっても核ではなかった。
 それが、この『ディオサの首』では、やや傍流にはあるけど、それでも案外ど真ん中方向にぶちこまれます。ジョニーという愛から逃げ、アツシという愛と出会い、そしてジョニーという愛と決別する話、なのがモニカさんサイドなのです。
 何が言いたいのか分からなくなってきたので、そこから離れてアクション漫画としての話。
 伊藤明弘先生はそのキャリアの多くをアクション漫画に捧げてきた、日本でも屈指、あるいは三指に入るレベルの漫画家さんです。その人が、キャリアを一旦断たれて、しかして復活して描いているのがこの漫画な訳ですよ。『ABLE』もありましたし、あれも凄かったんですが、それはさておき。
 ある意味で、ある程度固定の客がいる、それも太いのが、な漫画家である伊藤明弘先生が、もし手を抜いていても、たぶんファンでありファナティックである私みたいなのはツイテいくと思うんですよ。ですが、そこに対して、伊藤明弘という漫画家は手を抜かない。アイデアをどんどんぶっこんで、自身の力を試すような所作さえ見せる。
 今回の漫画でしたら、飛行機VSヘリでの銃撃戦と飛行機内の格闘戦です。ぶっちゃけ、下手すると何をしているのか分からなくなる、何が起きているのか把握できなくなるような、濃密なアクションなのです。色々なアイデアを盛り込んで、わちゃわちゃとしている。
 しかし、そこが全く混乱なく読める、という驚くべきリーダビリティを誇っている場面でもあるのです。今までも空中でのやつはありました。ジオブリならジャンボジェット機*2の回とか『ABLE』の空中パラシュート奪取とかがそうですね。でも、あれよりも確実に更なるアクションを盛り込もう、という意気を感じるくらい、とんでもなくわちゃわちゃしているのに、混乱しない。もう、常の域も超常の域をも越えていると言っていいでしょう。なにあれ。
 というかですね、そもそも漫画でアクションをする、というのがおかしい。それも静が主体ではなく、動が主体としてある、という、静止画に対して何させとんじゃい! な点が特にです。
 基本、絵画は動きません。動きを感じる、というのはありますが、絵画をアニメ化する、というまでにはいかない。その点、漫画は動きを感じさせる手法は沢山あります。だから、確かにアクション漫画というのは成立します。
 ただ、アニメ化するとアニメ独自の動きの中に、漫画の一コマの決め絵がくる、という形なりやすい。過程はどうあれ、静止画としての漫画の部分を、アニメと同期させて漫画の流れを感じさせる、というものになる訳です。
 それに対して、伊藤明弘漫画というのは、決めという映像ではないタイミングの映像をカカッと一コマとして切り出してきます。結果ではなく過程、と言ってもいいでしょうか。そういう場面が多い。
 それによって、静止画の連続である漫画に、アクションを生む。それが伊藤明弘漫画なのではないか、と勝手に思っています。
 とはいえ、決めのシーンが無いでもない。
 『ディオサの首』でなら「七つ!」のとこですね。あそこの決め絵っぷり、しかしアクションの流れの中にある点が忽せになっていないことは、今後の伊藤明弘学会でも議論の的になるでしょう。そこまでのアクションの流れを組み入れて、しかし踏み外していない。そういうバランス感覚というのが、世界でも三指に入るアクション漫画家、伊藤明弘の骨子なのだと思います。
 などと、適当に書き散らしてきましたが、結局何が言いたいかというと、伊藤明弘漫画を今拝めることをマジで神に感謝!ってボーボボ顔でする必要がある、と宣言したいだけです。こんなマジもん、今しか見れないかもしれんのだぞ!? と声高に言いたいだけです。あるいは、『ワイルダネス』も嬉しいけど『ジオブリーダーズ』も復古して欲しいですけどねえ、少年画報社さんよお! と言いたいだけなのです。
 ということで、前に書いたことと矛盾する脳出力をしてしまったので、ちょっと『ワイルダネス』再読の旅に出るよ! と謎宣言して、この電波に終止符を打つことにします。