三キャラから見る松井優征『逃げ上手の若君』

逃げ上手の若君 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
逃げ上手の若君 2 (ジャンプコミックスDIGITAL)

この項について

 松井優征『逃げ上手の若君』について語りたい欲があるのですが、感想にはちょっと違う。というのでグログロとしていまして、ですが、それがなんとか発散できるフォーマットに勘づいたのです。
 それが三キャラから見る『逃げ上手の若君』なのです! と複製(クローン)人間なのです! の調子でいいたくなるくらい、自分としてはこれはちゃんと出来るフォーマット! となってテンションが上がっていますが、それはさておき、どういうことか。
 というのはまあ単純で、『逃げ上手の若君』登場人物を三人取り上げ、それについて語ることでもしかすると『逃げ上手の若君』の自分の中の解像度が上がるのでは? ということです。
 というか、あまりに好きな漫画なので、真正面から戦えない、というザコメンタルゆえの搦め手であります。
 上手く行ったらお慰み。
 さておき、それではいってみましょう。

一人目 北条時行

 一人目は、当然主人公。松井先生がとても少年漫画向きだ! という、これは嘘をついている時の味だ! 級確信で見出した存在である、北条時行が俎上します。
 歴史上の人物なので、史実とのすり合わせが当然あるにしても、その人となりというのはもう見る事は敵わない。時間旅行でもしないと、いや、もしかしたらしても無理かもしれません。
 その事実、つまり史実に残らない部分は分からないし、史実も事実が残っている訳でもないという事実を、腕が立つ創作者に手渡すと何が起きるか。その一つの例示としてこの漫画は存在しています。
 この、史実の間隙を上手く突く、という手管の最大のパワーファイターは司馬史観という言葉さえある司馬遼太郎先生なのは論を俟ちませんが、松井先生ならそれに匹敵する漫画を描けるのでは? という妄言すら出てきます。
 閑話休題
 そう言う訳で、史実に反しない範囲でキャラ付けをする、という言葉で収まらない亜空の手つきによって、北条時行松井優征漫画キャラとしてここに再構築されたのです。
 その再構築、実際にそんな人がおった訳ないやろ! レベルで誇張と強調がされている訳ですが、如何せん実際に北条時行を見た人は今現在誰もいないのであり、つまりああだった、という可能性が全くないとは言い切れない。ワンチャンあるかもしれない。
 という惑乱すら生み出す、ギリギリ事実いそうで、ギリギリ事実いなさそうなバランスで、北条時行は構築されています。この再構築の見事さは、後の二人に対しても十全に行われていますが、まずは北条時行の事から語っていきましょう。
 とりあえず、逃げ続けた存在だった北条時宗。そこを、更に推し進めて、逃げる天才だったのでは? という地点にパラシュートで直接落下した松井先生は一線越え済みです。
 その上で、天才という言葉が持つ力を最大限しているのが、この漫画における北条時行です。
 天才だったら、これくらいは出来るよな! という松井先生の理屈で、鬼回避を見せたるなどして漫画として誇張されるのです。しかしその誇張が全然、無茶なんだけどこれくらいでないと生き残れないのでは? という当時の苛烈さを併記することで、問題点として浮かび上がらないという所作をかましてきます。
 この辺のキャラ付けに対するツッコミを見事にいなすテクニックの冴え具合は本当に松井優征は恐竜的存在だな! という謎の感嘆が出るくらいなのですが、それはさておき。
 北条時行のこの苛烈な世界を生き抜く為に、逃げるという特技、特徴、天才をどこまで活かすか、というのがこの漫画は本当に上手く、一見逃げるだけという存在が話を持ち得るのか? という疑問を投げかけておいて、出来る! 出来るのだ! してくるので、もうそれだけでしてやられたわ! とワーレン声にもなるにもなろうものです。
 そもそも、逃げるという言葉がネガティブな要素として取り上げられやすいのが、昨今であり、あるいは北条時行の生きた時代もそうだったわけです。
 その中で逃げるという天才をきっちり活かしつつ、ここぞ、逃げてはいけない時だけはちゃんと逃げない、という匙加減も合わさっているのがまず上手いのですが、逃げれるところでは逃げる、という部分の匙加減もまた卓越しております。
 その時の才の煌めき具合もちゃんとお出しされるとなれば、成程逃げるという才というのをきっちりと、才として描いているのだ、というのがはっきりとしてきます。
 未だかつて、逃げる才を魅力的に描かれた存在はいたでしょうか? と疑問を投げかけたいところです。
 そう言う訳で、逃げる天才として、その才をフル活用しているだけで、この漫画が得難い漫画になるという立ち回り。お美事! お美事にござりまする!

二人目 足利尊氏

 主役がいれば敵役がいる。この漫画の場合、明確な敵役は足利尊氏に任ずるところがあります。
 この足利尊氏、登場した場面は多くはないものの、その辣腕やヤバさはその短い登場で十分に魅せつけてきます。
 北条時行もこの漫画で発言していますが、源氏が平家を潰すのにかかった時間が2年近く。しかし足利尊氏は朝廷と言うバックがあったにしても、一月程度で北条氏の支配圏を瓦解させてしまう、という辣腕をふるっています。
 あまりに電撃的であり、だからこそ成功した面もありますが、しかしいくらなんでも有能過ぎやしませんかねえ! という印象を、北条時行の発言だけで印象付けてくるのが、まず上手いんですよ。
 その事実と伝聞だけで、足利尊氏やべえ! を読者側に理解させる。出てきて実際やった訳でもないのに! この辺が本当に松井先生のスキルの高さを垣間見せます。
 ついでに、当然それだけ電撃的でも、裏では色々やっていた、というのは分かるかと思いますが、そこも特に描写せず、しかし幕府の守り人みたいなムーブを見せていたのがいきなり、という魅せ方をしてくるので、その豹変もまた足利尊氏の得体の知れなさの担保となっています。
 この辺が、敵役としての足利尊氏を、短い時間でどれだけ魅せるか、ということへのアンサーで、この漫画の得難いところ、パート2です。
 よくよく考えるとこの漫画でまともに真正面から立ち会うというのは、ないな? というのもあって、油断すると存在感が消える可能性もある、微妙な立ち位置な足利尊氏
 ですが、そこでちゃんと足利尊氏の命を受けた人物を話に組み込むことで、意識を向けさせるムーブもしている。油断すると怪しくなる存在感を立てることにも成功しているのです。
 この辺りの匙加減と、偶に出たらなんかムーブがおかしいというのも合わせて、こいつを打倒するって大変じゃねえか? というのを常にアピールしている。敵役として、直截に行動しなくても魅せれる。
 この漫画がマジ上手いということの証左が、敵役の足利尊氏なのです。

三人目 諏訪頼重

 三人目はこの漫画のかきまわす役である、諏訪頼重です。
 主人公が逃げるというステータスに振った存在で、その天才。
 敵役が超有能で得体がしれないところがある、しかし戦の天才。
 そういう間に上手く緩衝するのが、諏訪頼重です。
 この諏訪頼重がひたすら胡散臭いという、協力者であるけど色々大丈夫なの? という感想がでる存在です。
 そもそも未来が視える、と言う段階で胡散臭いの塊なんですが、それがブラフではない、というのもまた折々で出されるので、尚更未来が視えるのに北条時行を守るってどうなの? 超長期的にプラス、ってよくないのでは? と思わされてしまいます。
 この辺の胡散臭さが、この人物の深奥を覆い隠している訳でもあるのですが、それ以上に協力者として大変上手い立ち位置にあるのも事実です。
 北条氏配下だった関係で、足利尊氏とは、ソフトな敵対関係。その関係があるから、上記のように足利尊氏配下と関係し、それで足利尊氏との関係を維持する役目をしている。
 その上で、北条時行にただ隠れるだけではなく、戦う術を覚えさせて、というのが更に足利尊氏配下との関係を絡めてくる。放っておくと関係が鏖殺になるところを、上手く緩衝しているのです。
 そういう意味では、この緩衝帯としての諏訪頼重は、この漫画が成立する、実は最大の存在とも言えます。
 さておき。
 緩衝帯としての諏訪頼重はそういうものですが、キャラクター、存在としての諏訪頼重は、先に書いたように胡散臭い訳です。
 ただ、この胡散臭いだけの存在ではない、と言う部分がしっかりあるのが生半にはいかないところです。
 諏訪家領主としての仕事もちゃんとしますし、表ではそういう側面をちゃんと出してもいます。
 この胡散臭いのとちゃんとしているのとを、バランスよく魅せることによって、こんなちゃんと出来るのに何で胡散臭いんだろう? というクエスチョンを我々に与えてきます。
 そしてシリアス一辺倒になりそうな作品の雰囲気に、弛緩の一石を投じたり、あるいはシリアスの側面を強くしたりするのです。
 そういう意味でも、諏訪頼重はこの漫画の緩衝帯である、と言う言い方が出来るでしょう。
 しかし、史実以上の事を我々が知る術がないとはいえ、ここまで奇天烈と真面目が折り重なった存在として描かれて、当人どう思うんだろうなあ、などと考えオチしたくなるレベルで変なキャラですよ、諏訪頼重

まとめっぽくなんか書いとけ

 とりあえず三キャラから見てみましたが、松井優征ナイズドというか漫画として成立させる手管が十重二十重と組み込まれているのが分かってきて楽しかったです。諏訪頼重、マジ貴重な存在と言うか、この漫画が成立する枠組みの最大の功労者みたいなとこあるのが分かってきましたし。
 つまり、諏訪頼重最高。そういう結論に到達して、この項を閉じたいと思います。