ネタバレ感想 吉田創 『ガールズ&パンツァー プラウダ戦記』5巻

ガールズ&パンツァー プラウダ戦記 5 (MFC)
ガールズ&パンツァー プラウダ戦記 5 (MFC)

 大体の内容「そこはそうやって辻褄合わせできたか!」。この漫画でのカチューシャさんと、原作のカチューシャさんが全然違う、ウマスが全然違うことに関しての辻褄合わせを、まさかの最終話でカカッとやってくる漫画。それが『ガールズ&パンツァー プラウダ戦記』なのです。
 今回の巻で完結するこの漫画ですが、ガルパンブラックボックスの一つ、西住みほさんが戦犯となってしまった、因縁のプラウダVS黒森峰の一戦を闊達に描いてしまいます。そこまで許されたのか! という驚きは、その試合内容の泥沼っぷりの前に驚天動地のレベルへと変わります。
 どれくらい泥沼かと言うと、天候不順の中でまほ車が本隊とはぐれてしまう、と言うところから始まります。
 更にまほ隊長不在の中みほ車の指令で動くことになる、まではいいとしても、そこでみほさんが奇策に打って出ていた、という、ブラックボックスだからって! と言うレベルで、無茶がなされます。
 この奇策、並の相手なら通じていたかもですが、相手はカチューシャさん。みほさんが予想しない地点にいて、これに状況が分からなくてテスト運転のドローンをもって状況を確認した運営の視点も合わさって、三陣営が揃ってなぜそこに!? となってしまいます。
 実際、この奇襲が通っていれば、黒森峰は勝利していたかもしれないのですが、そこはプラウダも並みではなかった、という事実をもって、結果として黒森峰の一車が戦闘中に滑落し、それをみほさんが助けに行く、という原作の流れになっていきます。
 ここで、作中ほとんど顔の写らないみほさんの傑物っぷりがしっかり描かれるわけですが、これを見ると、その後の大洗での活躍するのも当然、と納得も出来ます。プラウダ陣営に冷や水を浴びせる位置に行けたのは、プラウダの動きを読めなかった点はあるにしろ、腕を見せた格好ですし、その後の自分で動いて助けに行く、と言うムーブも後の西住みほ像と乖離がありません。そういう意味ではプレ西住みほ、もいうものが短い中で効果的に描写しています。
 アニメ版との乖離、というとカチューシャさんのあの子供全開! というのが、今までにも読者側に辻褄が合わねえ!? と感じさせてきましたが、それについては今までもちょくちょくそこへの繋がりを意識するところ、昼寝とか、がありました。そしてこの巻最終話でも史実にきっちりと摺り寄せてきました。
 どうしてきたか、というといきなり子供暴君をしだしたのです。本当にいきなりです。
 とはいえ、これには理由があります。戦車道大会、勝つには勝ったものの、疑惑の判定なとこがあり、マスコミの目はプラウダへと向けられる形に。それがあまりに目に余る、となり、なら自分1人に目を向けさせ、飽きせればいい、とカチューシャさんは決断。それが、アニメで知るカチューシャ像になるという流れとなるのです。
 お見事でした。一周回ってその手はありやな! まであります。それがあるから、プラウダの結束、というのが生まれたんだなあ、とも考えられるし、劇場版とかでカチューシャに託せる、とするムーブに対する元々あったものより上なる納得が植え付けられます。
 この暴君だけど何故か慕われているという微妙なラインを上手く位置取る動き、妙なるしなやかさとまで言えましょう。とても細い線を見事に繋いでみせています。お子様な時とちゃんとしてる時の、どちらが本物か、みたいな新たなる視点が投入されてるですよ。これだけでこの漫画化はありだった、と言えます。
 さておき。
 個人的に好きなキャラだったアールグレイさんの出番もあったのが良かったです。もう仮面の下の顔を出しつつも、それでもダージリンさんにいたずら仕掛けて、しかし全て見破られる。そういうので、ダージリンさんの成長をみせるのも良かったです。
 原作におけるダージリンさんの立ち振る舞いが、このやり取りをもってこれまた地続きとなった、とまで言っていいでしょう。ある意味で反面教師として、しっかり最後までやり遂げたんだなあ、とアールグレイさんの立ち振る舞いを見て思ったりなどもします。挿話としてちょっと尺取り過ぎという感もありましたが、こういう地続きをきっちり提示してくれると、『ガールズ&パンツァー』でのダージリンさんに対する理解が更に得られる、あるいは像が増えると言えるでしょう。
 総じますが、原作でやらない、あえて手をつけない内容を他の人のジェネレートで具現化させ、作品の彩りにする、という策ですが、ガルパンはかなりブラックボックスが多いので、ある意味では自由に出来る、というところがあります。
 ですが、生半なことをすると、ファン層の厚みによりDisられることもあるかと思いますし、水島監督に顔向けできない! にまでなる側面もあります。なので、完全にオリジナルとしていじれることが逆に足かせとなっている時も見えたりしました。
 それでも、このギリギリは、みたいな微妙なラインを繊細で豪腕なタッチで走り抜けたこの漫画は、5巻完結といっても密度の濃い仕上がりになっていました。それはまこと良きものでした。クラーラさんの話は謎度合いが、最終巻を迎えてもまだ混乱してしまいますが、そこまで出来ただけで、なんだかとっても、ありがてぇじゃねえか……。とCV稲田徹してしまいます。
 そういう意味でも、ガルパンの歴史に、また一ページ。そういう作品でありました。いい漫画をありがとうございました。と感謝の念を書いて、この項を閉じたいと思います。