ネタバレ?感想 柊ゆたか 『新米姉妹のふたりごはん』10巻

新米姉妹のふたりごはん10 (電撃コミックスNEXT)
新米姉妹のふたりごはん10 (電撃コミックスNEXT)

 大体の内容「姉妹の歩みは変わっていく」。今は同じ道だけど、いつかは違う道をそれぞれ歩いていくんだ。そういう提示が、しかしネガティブではなく描かれるのが、『新米姉妹のふたりごはん』なのです。
 親の再婚により姉妹となったあやりさんとサチさん。今までは一緒に居られた二人ですが、いずれその道が分かたれる、というのが今回の巻で明示されます。あやりさんが食の方面に、サチさんが写真の方面に、それぞれ方向を定めつつある、というのも見られるようになり、いつかは分かれてしまう、という別離の予兆が、じりじりと前面に押し出されてまいりました。
 そこがわりとしっかりと明示されるのが、サチさんのお父さんの手伝いに、春休みに来ないか? という話。当然、二人で行くつもりだったあやりさんとサチさんですが、あやりさんは受けたい料理教室がある、という形に。分かれの暗示です。
 ここで、あやりさんはサチさんと一緒に行きたい、という部分を押し出そうとします。しかし、サチさんが、あやりさんがしたいことを止めたりしない、と大人発言。分かれることが、ここで確実にいつか来る未来として形を成した瞬間でした。
 そして、実際に分かれ分かれとなるあやりさんとサチさん。当然、あやりさんはいつものネガティブ状態というか手間のかかる料理モードに突入します。叔母のみのりさんにこれは重症だな、とされますが、そこでみのりさんとあやりさんのお母さんの話がインサートされます。
 なんでも出来ると思っていたあやりさんのお母さんが、実は努力でやっていたのだ、と言うのが分かった時のことがスラッと話され、そしてお互いを思い合うんなら、あんたたちのそれはちゃんとしたもんでしょ? というのをまたスラっと。
 ここで、あやりさんがサチさんに最初に貰ったシュシュを握るシーンが、尊い。ある意味、二人の繋がりの主たるところが、そのシュシュですからね。それを、というのでもう。
 その後の、あやりさんがサチさんとこに合流する回も尊い。分かれても、また一緒になろうと思ったらなれるよ、というサチさんの言葉がこの巻の締めの言葉としては最上級のものでした。尊いの最上級の言葉が欲しいレベルで尊いです。離れて、でもまた会えて。だから何度だって分かれてもまた会える。一回分かれたからこそ、その言葉が出てくる。10巻のテーゼだったそこが、最後にきっちり回収されたので、そりゃもう尊いったらありゃしないんですよ。
 さておき。
 そういうテーゼな部分もありましたが、単体の回でも奮っております。特に絵皿を作る回は白眉というやつで、一応ご飯も作るけど、メインは絵皿を、というものでした。その絵皿作りで、失敗したら、と考えるあやりさんに対して、あやりさんのことを考えて作ってる、とさらっと言えるからサチさんは末恐ろしい。更に交換しない? あやりの作ったの欲しい、ってんだから、最早あやりさん特攻持ってますよね、サチさん。あやりさんも先に耐熱絵皿、サチさんと二人分必要でしょ? って先制はしてましたが、まくりは流石のサチさんでした。やはり特攻持ちは違います。
 さておき。
 10巻となった『新米姉妹のふたりごはん』。そこで、何時かは二人は分かれる、というのが明確化してきました。しかし、それを忌避するのではなく、それであってもまた会おう。と言う方向性にもっていく手つきは、やはり並々ならない。おかげで尊過ぎていかれるかと思いました。あるいは今はいかれているのかもしれません。
 そんなレベルの尊さがあったのが『新米姉妹のふたりごはん』10巻だったと言えるでしょう。