増田こうすけの天才性について。あるいは藤本タツキの天才性について。

あの頃の増田こうすけ劇場 ギャグマンガ家めざし日和 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

この項について

 上記漫画の感想が長々書けなくてうんうん言ってたんですが、天才性、という言葉を入れるとするっと解決したので、感想のような、増田こうすけ先生の天才性についてのようなものを書いていきたいと思います。流れで藤本タツキ先生の天才性についても被弾しましたが、まあネタなので適当に構えていてください。

最初に。

 増田こうすけ先生は天才、と言う言葉にうなずかない人はいないと思います。いますか? いませんね?
 しかし、その天才性をどこが? というとかなり悩む人も多いかと思います。多いですよね? 少なくないですよね?
 という疑念はさておき、何故増田こうすけ先生が天才なのか。という部分に至る為の補助線を、藤本タツキ先生の天才性という部分にスポットを当てることで語っていきたいかと思います。増田こうすけ先生を語るのに、藤本タツキ先生を援用する、という豪勢な感じをお楽しみください。内容が間違っているかもですが、まあそういうこともある。と予防線を張っておきますよ。

藤本タツキの天才性について。

 藤本タツキ先生の天才性とは何か、というのはまあ色々ありますが、やはり豪快な展開と精緻な展開を併せ持つ♡部分かと思います。非常に無茶なのに丁寧にその前振りを敷いている、というのが藤本タツキ流と言えるでしょう。
 これに至るまでに何があったか、というのはやはり脳内連載という言葉がするっと入ってくるかと思います。
一時期同時7つの連載を脳内で行っていたというあれです。脳内連載レベルならまだ分かるんですが、それを7つ同時に、しかも面白さをチェックして連載を終わらせる選択もしていたというので、やや常軌が逸しています。
 しかし、これが藤本タツキ先生の天才性、才能を育てた一番のものだと言っていい。才能というのは、いきなり植わっている訳ではなく、練磨されて生まれるものです。所謂1万時間の法則というやつですね。今は微妙に正しくない、追加調査でミスってると言われているやつですが、これは指向が違うというか、同じレベルのをクリアし続けているから駄目なのでは、という勝手なことを思っています。
 ワタクシ大好き格ゲーの世界でも、上達する為には練習、となります。しかし、これは常に同じレベルを維持し続けるのは駄目、という理解がされています。例えばコンボ練習などは、100回やって100回出来ることをしていても、何にもならない。もっと状況を詰めていって、相手が動いているから、相手がこの状況でどっちかに動くのを見据えてまで、そこに確実にコンボを決めるスキルが求められます。
 詰まる所、負荷をどんどんかけていく。梅原大吾さんとかだと、ランダムで四つの動きをするようセットした状態でその四つがどうきてもきっちり解答していく、というのをやっていました。ここまでの負荷をかけるようになっていくのが、すなわち練磨されているということなのです。
 翻って、藤本タツキ先生の場合は、おそらくいきなり7つの連載から入ったのではない。1つか2つで初めて、最終的に7つの連載とそれを評価して入れ替えるメタ意識に至った。これが練磨ということです。
 これは真似できないか? となると、実は真似が出来ます。当然、いきなり7つ連載とか、四つの選択肢に常に最適解をする、というのは無理です。しかし、一つの連載をする、あるいは二つの選択肢に最適解をするというのは、やろうと思えば出来る範囲です。すぐにパーフェクトには出来ないでしょうが、やっている内に出来るようになる。
 これが練磨です。これを突き詰めていけば、藤本タツキ先生や梅原大吾さんのような域に行ける、可能性はあるのです。
 何が言いたいか。圧倒的才能、天才の所業に見える藤本タツキ先生のそれも、積み重ねてきたものがある。ということです。つまり、我々も追いかけていくことは可能な範囲なのです。
 とはいえ、7つの連載とメタ評価というのが如何に無茶かは、漫画読み程度でしかないワタクシでも悠々理解出来ます。一つの連載からの単純7倍ではなく、もっと乗算されたやつです。生半には出来ません。
 しかし、それをやったからこそ、藤本タツキ先生は大胆に展開される話の中にとても繊細に情報を織り込むという離れ業を、今もやっているとも言えます。個人的には所謂パワーちゃんの轢殺のとこの、丁寧なフリからの大胆な大ボケ、で止まらずにそのまま話はスムーズにつながっていくところは、リアルに舌を巻きます。
 これが、練磨の出せる技なのか、というので、人間の底知れなさを感じずにはいられません。

増田こうすけの天才性について。

 前置きが長くなりましたが、増田こうすけ先生の天才性は何か、というと、やはり20年以上オムニバスのギャグマンガを連載し続けているそれ自体ですが、この素地はどこから来たのか。という点が注目したいところです。
 上記に掲載しているめざし日和で、それが分かるのか。そう期待していたのですよ。しかし、そこでお出しされたのは、なんか流れで漫画を描き始め、賞に送り、入賞し、でも放置され、また賞に送り、また入賞する、というだけの話でした。
 もう、この段階で相当無茶苦茶なのが分かるでしょうか。同じ賞に二回応募して二回とも入賞するんですよ。普通だと、既に一回担当が付いた後に、音信不通になってもう一回同じ賞に送る、というのだけで、それ無理じゃね? なんですが、それでもちゃんと入賞するんですよ。ほとんど賞荒らしです。実際、もう二度としないでね。と担当さんに念を押されているんですが、それでもその二度目のおかげで連載を勝ち取っていく形になり、今に至るのです。
 その才能がどう醸成されたのか。というのが、当然増田こうすけフリークスには舌なめずりしてみたいものだったんですが、しかしそこにはなんか漫画描いて送ったら賞とれた。というだけのものでした。
 そういう内容だったので、感想が全然浮かばないというかなり困る状態で宙ぶらりんになっていためざし日和ですが、先述のように天才性というワードを組み込むことで、一気に話が立ち上がってまいりました。
 それが、増田こうすけ先生、漫画の練磨全然してなかったのでは説です。
 一応、漫画賞に応募しよう、という動きをしていたので、漫画は読んでいたのは間違いないし、描く方で考えていたのもあるでしょう。しかし、漫画の描き方は全く知らない状態で、本屋のつるしの漫画家セットで漫画を描き始めた、という話が1話目から展開される、んですが、そこで猛勉強して、という感じでもない。線の引き方に悪戦苦闘したり、色々描くの大変だな! というベタなところから、それ程スキルが溜まっていないのに漫画賞に応募する、からの入賞です。
 全然練磨してねえ!
 先ほど藤本タツキ先生が練磨の末に今の漫画力を手に入れた、と言う話をしておいて、増田こうすけ先生がそこが全然スポットに当たらないという話です。自分としてはここに至ってかなりビビりました。もしかすると、増田こうすけ先生も脳内連載とかしてたかも、という可能性はあります。しかし、めざし日和ではそういうとこ一切なく、なんか漫画描いて送って賞を、というだけがお出しされます。
 これで、なんか色々ごちゃごちゃ描いてごまかしているならまだいいんですが、めざし日和、かなりタイトなつくり、ぶっちゃければ漫画としてギリギリ成り立つレべルまで削られており、騙しに来ているという感じが微塵もないのです。とりあえずあったことはきっちり並べました。という呈なのです。
 なので、もっと色々考えたとか、あれなら脳内連載してたとか、入れる余地が全開であるのに、そういうのが全く入れてこないので、つまりなかったのでは? あ・・・? あ・・・? ってなるのです。
 つまり、練磨全くなしで今の増田こうすけワールドを作る力を持っていた。
 つまり天稟。天才なのです。
 ほぼ練磨なしで、あの領域。それが増田こうすけ先生の天才性なのです。ある意味真の天才とはこういうものなのです。
 というか、めざし日和がどんな話をしてくれるんだろう。という期待で読んだら、あの内容な訳ですよ。
 でも、色々と考えて、天才性から突破口を見つけて、更に考えるに、ガチの天才の人生に一般人は何一つ情報を得られない。ぶっちゃけ一般人ではその人生に対してビタイチ感銘を受けることがない。という事実しかないなという思いに至りました。描いて送って賞取った、じゃあ何一つ応用しようがない! まだ藤本タツキ先生の奴の方が応用を考えられるのに!
 と言う感じで、増田こうすけ先生の天才性が凄すぎた、と言う話でした。