この項について
好きな漫画について無駄に語りたいという欲求は、人間誰しも持っているものですが(無駄な主語拡張)、それを無闇に発動して、この漫画おもろいんですよ! というのをカカッとやっていくのが本項スタイルになります。
今回は、ミリタリーと女の子という合わせ技イポン! で知られる野上武志先生の、ミリタリー色が無いというわりと今までの歴からすると異色作ながら、こういう漫画も出来る! 出来るのだ! とその力を世に示している漫画、『はるかリセット』について、縷々綴っていきたいかと思います。
それではいってみましょう。
そもそも『はるかリセット』って?
とある文筆業の春河童先生こと天野はるかさんが、仕事の合間や仕事終わりに、休息をとる! という漫画です。もうこの段階で、それって漫画として成立するの!? となる諸氏もいらっしゃるかと思いますが、我々は谷口ジロー:久住昌之『孤独のグルメ』という前例を知っているのですよ? と返せば、大体飲み込めるかと思います。あちらより休息という行為の奥深さと言うか、手広さを魅せてくるので、むしろ『孤独のグルメ』の異様さが立ち現れる気もしますが、それはさておき。
手広さ、と書きましたが、実際にその手広さはかなりのもの。なにせ、一話目から銭湯→酒→寝ると三段階を駆使してきます。これ以降はわりと単品というか、一つの事象に注力する場合が多いので、むしろ一話目が異端なのですが、それでもがっつり休む、というものはがっつりと魅せられるのだ、という解は一話目から既に完成しているといっていい。それだけ、休みエンターテインメントという謎の出力は実はかなり人の耳目を惹くものなのです。
休息、それは最後のフロンティア
この世には最後のフロンティアが沢山存在していて、むしろ無限のフロンティアEXCEEDといった風情ですが、その末席に、休息と言うフロンティアは、あります! とどこかの捏造ネタを思い出す風に言ってみます。実際問題、休息というのは本当にフロンティアですが、しかし見果てぬ夢ではない。そういうことをこの漫画は言っているのです。
しかし、その幅は本当に広い。手広いという言葉を使ったのもむべなるかな、と言うレベルで広いです。
片や水族館や下水博物館などの箱ものもあれば、片や温泉や奥座敷に出向くこともある。
あるいはホットヨガや岩盤浴という実質的リフレッシュ重点もあるし、アイロンかけや自作餃子、ネイル塗りなどの細かくて逆に疲れない? という手管もある。
この幅広さと、それで休息を得るという行為に繋げられるという事実を、現代社会に、問う。それがこの漫画なのです! と言うと大げさですが、それでも休息を見直そう、というのを、実際に休息して見せつける、という筋な訳で、それを見て、休息っていいなあ、いっちょしてみるか。って思わされることこそ、この漫画の正しい在り方のような気がします。
極めて大雑把に言うと、我々には休息が足りない、のではなく、休息の手段が足りない、というべきかもしれません。この漫画は大なり小なりですが、それでもこれで休息になるというのを提示してきて、そして実際に春河童先生が休息になっている、という事実を限界バトル叩きつけてくるのです。
大それたことでも、大したことなくても、休息になる。
この視点は、この漫画を稀有なものにしている最大の理由です。基本大きめのイベントで休息をとる面はありますが、小イベントもきっちりと内容としてキメてくるので、稀有さが如実に現れます。個人的には1巻収録の描き下ろしのアイロン回はこの漫画のマスターピースかと思っていますが、それもただアイロンをひたすらかける、という小ネタ回です。でも、こういう小ネタがあるからこそ、他のネタも生きる部分がある。繰り返しになりますが、手広い感とそれが休息になるんだという視点こそ、この漫画のチャームポイントなのです。
何気にキャラ漫画としてもいいよね、と言う話
キャラクター漫画という部分も、この漫画にはあります。視点位置である春河童先生が休息してリフレッシュする漫画なんで、自動的に春河童先生のキャラクター造形に、少し、興味が出てきたよ……。とラスキン卿(八房龍之助『宵闇幻燈草紙』)顔になりますが、実際に春河童先生の造形は良い物です。
作中では特に美人とは言われませんが、個人的には大変いい美人さんではないかと思います。子供と高齢の方には受けがいい、と作中で言われていますが、これを見初められない同年代の不甲斐なさを言い募りたいくらいです。おっぱいも大きいですしね。理解しろよ、クールにな。
と言う冗談はさておき、春河童先生は作中で休息する主体ですが、実際の所まだまだ休息が上手くない、という発言が度々されます。この漫画読んでいると、これで、上手くないだと……っ!? ってなるんですが、これはドラマ版『孤独のグルメ』で井の頭五郎が当たりの店にしかいってないのと理屈は同じだと思います。
つまり、ミスった時の話がない。上手く処れた話しかないから、上手くないと言われて、あ・・・? あ・・・? とボンガロギース顔になるのです。これがされるとこの漫画は更に上がりそうな気がするんですよ。そこでの春河童先生の振る舞いがどうなるのか、というのは春河童先生というキャラクターの深い所が見れる地点だとも。一回だけ見せてくればそれでいいんだ。ね、ね、いいだろ? ってなってるんですが、果たしてそういう回は来るのだろうか。
若干話が逸れました。キャラクターの話。春河童先生が女性だからもあるんですが、この漫画基本的にモブ以外のネームドはほぼ全て女性が占めているという、好きだな、お前も。という話でもあります。なので野上絵の魅力的な女性が大量投下される訳ですが、個人的には春河童先生の休息の師匠である月ノ瀬観音先生が好きです。眼鏡デコですから。
休息の師匠、というだけあって、その休息は大胆不敵。ある回では、香川県高松市まで夜行列車で行って、駅のホームにあるうどん店(現在は閉店)でうどん食って、そのまま帰る、というドレッドノート級の休息を見せてくれます。その回があまりに暴だったので、後日ちゃんと香川県回があるというのもまた無茶なとこです。
この月ノ瀬先生に触発されて、春河童先生は色々と強行をするようになる、というのもこの漫画の幅を更に拡張しています。単なる眼鏡デコ美人ってだけじゃなく、作品の彩りと可能性を啓かせる、そういう立ち位置なのです。ついでにこの辺の、なるほどこの眼鏡デコ美人ならその力はあるな、という説得力にもなっているといっていいでしょう。出来る眼鏡デコ、イエスだね!
我々には、休みが必要だ
最後にこの漫画のテーゼ、休息について。この漫画で提示されるのは、休むというのは本当に大事なんだ、というのと、息抜きはどこにでもある、という事実です。
特に休む大切さというのは、この漫画では何かあると煮詰まってたり、体調崩しそうだったりする春河童先生を見せて、それを休息で解放する形によって、休息はいいな。と思わせる手練手管を魅せてくる、と説明しました。たぶんしましたよね?
さておき、春河童先生、文筆業なので休みは不定期になりやすく、しかしだからこそ大きな休み方も出来る、という我々からすると羨ましいような生活ですが、しかし人が休みな時に休みではないというのが自営業の業でもあり、だから連休とかあると逆にぐんにょりする、という話もあったり。だからこそ、でかく取れたら休息は取る、というメリハリになっているのです。
そして、その休息はだからこそ細かくてもおろそかにしない。どんなことでも、休息になり得るのだ。というのも示唆してきます。ネイル回とかその最たる例で、ただ自分でネイルを綺麗にする、というだけの回だけど、これでも休息になるんだ……。と感じ感じさせてくれます。
ここに至り、身の丈にあった休息を見つけるのだ! というのがこの漫画が常に発信している内容ではないか、と思うのです。
そう考えると、私の休息はこうやって無駄に文章書くことかもなあ、とも思ったりします。書くのが仕事の春河童先生では無理な境地。だからこそだろうがっ、ってコミックマスターJも言ってた(言ってない)。
さておき、皆やり方は違うだろうけど、それでも休息は出来るはずだ。休もう、日本!
それがこの漫画のテーゼである、と提示してみたいと思いますが卿らはどうか。
と、投げっぱなしにしつつ、今回はここまでです。したらな!