感想 斉藤淳 『アメリカの大学生が学んでいる本物の教養』

アメリカの大学生が学んでいる本物の教養 (SB新書)
アメリカの大学生が学んでいる本物の教養 (SB新書)

 大体の内容を先にまとめると、「教養を持つ者とはよい思考者である」。これを一冊使ってかっつりと語る本となっています。
 それがアメリカの大学生がこういうのを学んでて日本って遅れてるー! なのやろー? とか思われるでしょうが、実際のところアメリカの大学生が学んでいる具体的な本とかは全く出ません。そもそもこの本の中でアメリカに対して触れられる場面がマジで少なく、そういうのはいいから教養とはどういうことか、わかっているか! というのを縷々綴っている本となっています。
 いきなり個人的事情をぶっぱしますが、ワタクシ、教養というのがなんなのか知りたい侍。それも、オタク/おたく/ヲタクの教養って何だろう、という地点から、そもそも教養とは何だろう、という知識欲がウオオオオ爆裂究極拳! しております。なので教養とあれば、教養としてのなになにというタイプを除いて*1、カカッと購入して読む、という教養ガチ擦り勢なのですが、この一冊は教養についての話としてはベストポジションにある一冊、と言えます。
 教養という言葉を考える本を幾多読んできた身としては、他の教養についての本はお前のスタンドが一番なまっちょろいぞーッ! とまでは言わないまでも、教養についてどういう立場をとるかくらいで教養という現象それ自体にはそこま突っ込んでいかない、それはとりあえずこれくらいにして、という中座するタイプがほとんどでした。
 そも、教養というのが大変面倒というか、ここ、ここ! はいここ! という自明なラインが実はいまいちない。つまり人によってふんわりしてしまう線引きになってしまうところであります。教養の語源から探ったり、リベラルアーツの意味合いから攻めたり、言葉として流布する過程でどうなったかを語ったり、そも最初はどういう使い方だったかをだったりと、軸の置き方で噂のアイドルユニットあい&まい&もこという戯言をいうくらいには確実に固めるのは放棄して、ある程度形を作って突っ込む、という形でした。
 それはそれで教養についての理解のたしにはなるんですが、大体の場合で結局はその本の基本的に語りたいところへ速攻突入して教養については、さっきしたでしょ! とたしなめ顔だったりします。しかし、この『アメリカの大学生が学んでいる本物の教養』はその題名から想像もできないくらいにがっつりと教養とは、というのを考えていく本となっています。
 この本は端的に言ってしまうと教養を持つ者=「いい思考者」になるには、という話が主体です。言うほど、「いい思考者」という言葉で擦ってこないのですが、教養を持つ者、という感じの言い回しは「いい思考者」という言葉の前にも後ろにもあるので、そこを全部「いい思考者」、で置き換え直して捉えるのが肝要かと思います。
 では、「いい思考者」になるには? というのは具体的な内容の方の話になるのでネタバレ(?)は避けますが、1章目の副題「深く学ぶ」と2章目の副題「自分の頭で考える」辺りが、わりとこの本を端的に表していると思います。もっと言うと、正解の難しいことを「深く学ぶ」。そして事実を正しく読み「自分の頭で考える」、というのが大体「よい思考者」だ、ともいえるかと思います。この後に4章の副題「自分の意見をつくる」まで行けたらいい、という感じでしょうか。この辺の理屈はひっじょーに体にしみますねえ! と京水声が出るくらい、個人的には見たかったものだったので、本気感謝(マジサンキュー)です。
 斯様、教養についてはガチですが、逆に言うとアメリカの話でも、大学生の話でも、そもそもそれを学んでいる話でもないという、ある種タイトル詐欺に近い一冊になってもいます、まあ世の中には『忘れる読書』ってあるのにその忘れる読書の話が一節しかない本もあるので、これは批判には当たらないでしょう。……そうか?
 というか、本当に思うのは何故『本物の教養』だけで成立しなかったことです。この本、実際問題『本物の教養』で十分成り立つ本なのです。アメリカとかが絡んでくるのが本当に微々たるものなのです。
 一応、この本に通奏低音として流れる「Good Thinker」、つまり「よい思考者」という言葉を引用する箇所があるので、それでアメリカでも大学生でも学んでいるでもないけど微妙にそれが入っている、と見るのがいいかもしれません。そもそも『本物の教養』って大上段過ぎて遠いところから槍で突き刺されること確定でもあります。そういう意味では「アメリカの大学生が学んでいる」は目くらましだったのかもしれません。
 さておき。
 この本では教養を持つことの意義、というのも考えさせられます。5章目の副題「人と共に学ぶ」で顕著なように、ただ一人で完結するのではなく、周りも巻き込んでいくという話もされます。しかし議論などは人と人のすることなので、それだけではなく撤退ラインも決めておく必要があるなど、単純に巻き込んでいこう! という仕草をしていないのも好感が持てます。そこをごり押しする人が多すぎますからね……。こういうところをきっちりしているのもまた「よい思考者」の仕草なのかもしれません。
 ということで、教養を持つ者=いい思考者になるには、という話を新書一冊で綺麗にまとめあげたのが、この『アメリカの大学生が学んでいる本物の教養』となります。教養について考えているという方には一読オススメするやつですが、世の中に教養について考えている人が多いのだろうか? とも思ったりもします。とはいえ、いい思考者、という考え方はもうちょい世の中に施行されていいし、個人的にもオタ教養の考えの大きな一助になりました。それだけで、満足、したぜ……。と完全満足顔の鬼柳京介です。
 とりあえず教養ってなんぞ!? という酔狂な向きには全力全開でオススメ出来る本です。アメリカも大学生も学んでいるもあんまりないですが、本物の教養についてはきっちり活写されているので、是非。
 とかなんとか書いて終わり。したらな!

*1:大体そういうのは教養についてが雑。偶に『教養としてのロック名盤ベスト100』みたいな名著もありますが、大体教養とつけとけば、みたいな思考が透けてくるので困ります。教養としての、をつけるのを題に適当につける人には猛省を促したいですね。