教養をちゃんと理解したい人の独り言 あるいは知の基盤説

 皆さん、教養というのは知っておられるでしょうか。知らないとは言わないでしょうが、正しく知っているというかというとどうか、というのはあると思います。実際問題としてわしも正確に分かっているかというと結構怪しいです。一応色々教養に対する知識を得てはいますが、実際教養ってなんだろう、というのは常にあるのです。
 とはいえ、とりあえずおハイソな文化、という感じで見られている面は少なくないのが教養というものでしょう。なんかお高くとまってるやつ、というか。
 ここで正確を期すなら教養とは知の基盤の結実といったほうがいいですが、大体教養が、という場合にはおハイソなのが出てくるので世間一般には教養にはおハイソ感があるかと思います。
 とはいえ、ちゃんと知の基盤があるのとおハイソなのは方向性は似ていますが近似とまではいかないので、教養を知の基盤の面でだしてるのをおハイソと見てケーッ! とするのは若干問題のあるムーブです。
 ただ、教養と言われてケーッ! となるのもまたわかる。これを知らないと面白さが分からない、というタイプのおハイソなやり口がどうにも悪く目立ってしまうのがその主要因でしょう。こういうのは知の基盤として持ってないのを嘲笑う感じなのがよくねー。となります。
 そもそもの話、知の基盤の形は人によります。それがおハイソなやつなので構築された人もいれば、サブカルチャーで形作られた人もいます。カルチャーでないもので形成されている場合も当然ある。知の基盤は人毎に形があるわけです。
 その基盤の多様性の中で、教養という知の基盤の結実はある種の型として存在します。他と共用出来るレベルである基盤というのが世間一般でいう教養というもの、と言えるかもしれません。
 なので、これ知らないの? とおハイソするのもそのおハイソをケーッ! するのも等しくよくねーのです。どちらも知の基盤の型違いを無視する所作、つまり他の知の基盤を無視する所作であり、結論同値でダメです。どっちもどっちです。
 いろんな知の基盤があることはそこから派生するいろんな思考があることでもありますから、自分と違うだけであるいは既存と違うだけでオトすのは誤りなのは現代的な価値観からすればわかりやすいです。同じものを見ても違う判断をするのは、知の基盤が違うならそうなるのは理の当然であります。だからそこに思い至らない知らないの? も、そこに思い至らないケーッ! もよくねー。なのです。繰り返しますが同値でダメです。
 ここが相容れないのは1000くらい承知ですが、だからといって相手が自分と同じ知の基盤に乗ってないからオトしていいとはならない。違うのは当然、という世の中です。長いものに巻かれろというより現実的な基本だと思うからです。
 でもそうなるといろんな基盤があるという前提がある中においていわゆる既存の教養は結構大変かもしれません。教養という目指すべき方向性が既存の方向以外もあり得るという世の中になっているからです。思考がどこに立脚していてもいい時代です。知の基盤もどうあってとよかなのです。そこが重要なのです。
 なので、先述のように既存の教養は大変だろう、となります。教養が必ず通る道とは限らない、別の教養もありうるというのが露呈しているからです。別次元の教養がある、というのは既存の流れからすると大変だなあ、です。そもそも教養に知の基盤の性質があるなら、全く違う知の基盤にはそこになる教養がある、というのも当然とも言えましょう。そしてそれらは現実的に等価です。
 だからこそ、自分が寄って立つ知の基盤を蔑ろにしないように、相手の寄って立つ知の基盤を蔑むこともしてはいけない。他を尊重するとはそういうところからなのです。
 そういう世の風潮、多様性を求めるとこからしての発案から、今回ネタ文章を書きました。最初は既存側で知らないの? するのはよくねー。という形でしたが逆もまた真なりと気づきましてこのようなのに。
 もちろん、これは『果てしなきスカーレット』からの『ハムレット』知ってねえと発言に端は発していますが、そっちもそっちでの知の基盤の上のものだからその発言もそれはそれとしてありなのではある、と考えが変わりました。でもありではあるがよくはない。知ってる程度でマウント取るのことじゃない。
 そういう知の基盤がある方に向けてだったのかという点は観てないので軽々には何も言えませんが、さりとて『果てしなきスカーレット』の知の基盤を腐すのもまた違うな、とは思ったのでこのように書いたわけです。なんか着地できただけですが。
 さておき、ここから派生していく話、オタ教養の話もありますがちょっとスレ違い感もあるので今回はここで区切ります。いつかその話はまとめますが、今じゃないし話が本気混線しますからね。まとまったしここでよしとしましょう。
 ということで、知の基盤は多様性が求められる現代では様々あるから、教養もまた様々ある。お互い貶すのはなし。そういう話でした。
 では今回はここまで。したらな!