そもそも論から
格ゲーのコーチングという言葉が結構定着してきた昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。筆者は最近めっきりスト6していませんが、アレックス追加時に出戻ろうという腹をしています。とはいえアレックスより結局マリーザさんが一番! になりそうな気が沸々としています。マリーザさんはハマった人には分かるでしょうがマリーザさんは唯一無二のむにちゃんですからね。スト6のみならず他の格ゲーでも替えが効かないタイプです。似てそうと見えるアビゲイルでも違うからなあ。
さておき。
スト6のコーチング、というのがあるのは諸賢も知悉しておられるでしょう。格ゲーのコーチをする、というムーブがスト6でかなり根付いてきています。昔から教えるという行為は営々と続けられてきたものですが、それが昨今の環境変化で一気に花開いた格好です。上手い人がVtuberとかにコーチングする流れがあって、そこからの派生で一般化してきているように感じます。
ですが、コーチングは難しいです。腕前に非対称性があるからコーチはできるのですが、それでコーチされた人がちゃんと伸びるか、というのが難点として上がり始めています。この辺、非対称性があるせいでコーチングが上手くいかないのではというのが私見です。
差があるからコーチしてもらっているのに、それが原因? ですが、詰まる所どこで詰まっているかというのがコーチする側がちゃんと分かってない、どこでつまずくかが分かってないという辺りに原因を求められます。
格ゲーマーならド初心者から始まっていずれ上級者になっていくわけですが、初心忘るるべからず、という言葉があるように、初心は忘れてしまいます。だから何が駄目なのか分からないパターンもあります。
あるいはコーチ側が全く詰まらなかったところで詰まると、コーチ側も意味が分からなくなる、というパターンもあるでしょう。すっとクリアできた部分はすっとクリアできたがゆえに詰まる理由が分からんのです。
とはいえ、この辺はコーチングする人される人どちらも場数を踏めば分かってくるラインではないかと思います。格ゲーのコーチングというのが大きくムーブメントになるくらいにはふくれてきた過渡期ゆえという言い方も可能でしょう。知識、知見が貯まっていないからこそまだ難しい領域ですが、とりあえずノウハウの蓄積が待たれるところです。
さておき、コーチングは腕前の差という根源的な問題以外にも根源的な問題があります。単純な話、そのコーチングする人がコーチとして適正かという問題です。腕前があればいい、というものでもないのです。
全くの格ゲー初心者が師匠役をするのはまずありえないですが、ある程度の実力がある、というのでコーチングしようとする人は当然います。しかし、そこは人と人。相性があります。
その相性が合う、というのは信頼関係が構築できる、と言い換える事ができます。確かにあの人のいうことは一理あるけど、なんか信じられない、というのは相性はよいとは言えないでしょう。結局のところ、そこがコーチングする上で一番重要な要素になるのではないかと思います。
ここで突然住吉九『サンキューピッチ』という野球漫画の話になりますが、37話にて左近寺という選手がプレッシャーに負けかけているシーンから、監督の阿川先生の言葉でくっきりと落ち着く、という流れが発生します。この阿川先生、野球についてはずぶの素人なのですが、それでも左近寺のことをよく見ていてそういうところがあるお前だぞ、といって落ち着かせるのです。
何が言いたいかというと、コーチングの相手に対してちゃんと見て、理解するというのはとても重要だということです。そのコーチングの題材の知識や腕前に関わらず、どうなっているかを見てどうやって指導するか、というのをちゃんとしておけばいい、というある種当たり前の話です。当たり前だからこそ難しいんですが。
とりあえず、結論としては場数を踏んで信頼を気づくという部分から始めるのが一番だ、という話でした。余談ですがこの辺のコーチングの話だと『フルメタル・パニック! Family』でクルツが狙撃の教官しているけど天才語で話すので誰も体得できない、ってネタを思い出しました。天才の自分の子には通じてたのでやっぱり天才には天才を当てないとコーチングはどちらにおいても上手くいかないんだなあ、というのを感じましたよ。格ゲーでもそういう部分はあるかもしれませんね。
という感じでコーチングの話をカカッと書いてみましたが、まあベタな結論に辿り着きましたね。結局人と人の繋がりなので信頼できる先生じゃないと意味がないですし、信頼できる生徒じゃないと意味がない。ゲームが上手い下手もですが、その人と波長が合う、信頼関係を築けるかがコーチングの肝です。うーん、完全にベタ。
とかなんとか。