文を読んで映像を話から。

 前にこんな事書いたなぁと思い出してみたり。そこで書いたのはノベルゲームとの対比ですが、思考の足しにはなるかと。でもこの場合はゲームやった後だったから、フェアじゃないかなぁ。まあ一例って事で。
 一応私の場合は、絵が浮かんだり声が浮かんだりがノリノリで読んでいる時にはあります。「狼と香辛料Ⅱ」だとラストの拷問モードとかは声付き絵付き動画で思い浮かびました。ロレンスがまぶしい位の笑顔でしたよ。目が笑ってなかったですけど。この場合の絵の出力は文倉絵師の絵でした。
 余談するならば他にも、「バッカーノ!」のドラマCDもいい具合に思い浮かびました。「引き金を引く事しか教えてないんだ」の所のヨウンの顔は怖かった。うん。これは声の力だから、ちょっと違うかな。今ヘビーローテーションで聞いてる「ぱにぽにだっしゅ」のボーカルアルバムの「Link」とかは振り付けまで思い浮かぶなぁ。柏木姉妹がバリバリのwinkで歌ってる動画が見える。これも声と音の力だな。
 さらに余談するなら、小説が映像化する場合に原作至上主義思想が発動するのは、自分の中の映像イメージと実際の映像の違いに耐えられない、ってのがあるのかもしれません。なまじ自分の中で強烈なイメージを抱かざるおえないからなおさら。私も終わクロの映像化は「おおおおお俺のイメージがぁ!」って感じですし。声のイメージすら怖くてドラマCD買ってないしなぁ。
 さておき。
 じゃあ、どうやったらそういうのが出来るようになるか、って話にしますけれど、これは積み重ねかなあ。小説単体だけじゃなく、それはもう妄想の種になる物ならなんでもかんでも、って具合にのべつ幕なしに習得する必要がありますきっと。以下箇条書き。

  1. まずは基礎になる映像および絵またはアニメ。人間、無からは想像できません。
  2. 文章と絵を同時に眺める形として、絵本。
  3. 絵の量が少なくなって絵付きの児童小説など。
  4. 文章と絵と動きと規則性として、漫画。読み方の基礎形が確立している分、漫画の方が難度は高い。
    1. この辺りの段階で、映像的トラウマになるものを見ておくのも良いと思う。
      1. 私の場合は「チョコレート工場の秘密*1」がかなりの戦慄イメージを与えてくれました。映画よりインパクトが強く覚えていますよ。
  5. さらに絵が少なくなって今で言うライトノベル
  6. 少ない絵を動かす手法としてアニメ、またはギャルゲおよびエロゲの差分の思想。
    1. この辺がしっかりしてくると、自動で動くようになります。良いか悪いかは別にして。
  7. 文章onlyの世界。

 こんな感じの流れでしょうか、私の場合。
 しかし、たまに簡単な道筋から恐ろしいイメージを流し込んでくる小説もあるので、イメージ力があるのも考え物かもしれません。噂に聞く筒井康隆のとろろの話とか、最近思い出したら怖かった「ぽっぺん先生と帰らずの沼*2」とか。
 なにが書きたかったのか分からなくなってきたので強引にまとめますが。
 「そうねえ。文章が映像に変換できても、使い方が悪かったらなんにもならない、ってことで」
 「そうですね」