感想 湖西晶 『下を向いて歩こう』1巻

下を向いて歩こう 1 (まんがタイムKRコミックス)
下を向いて歩こう 1 (まんがタイムKRコミックス)

 大体の内容「ビーチコーミング! そういうのもあるのか」。とある日、いつものようにビーチコーミングに出かけた硝子さん。そこで、女性水着の上を拾い……からの出会いイベントでシエルさんと出会ってから、日常がちょっと引っ張られていく。それが『下を向いて歩こう』なのです。
 この漫画は、いわゆるきららナイズドされています。女の子が、わりと特殊な何かする。という程度のくくりがきららナイズドというものですが、それは当然、湖西晶先生がきらら4コマ歴が長いからですが、しかし湖西晶先生は、きらら歴が長いといってもその歴には色々な紆余曲折があります。
 『かみさまのいうとおり!』連載から、ぱれっと誌でも連載をして、そして代名詞かみいうが終わってからは新たな代名詞になる『〆切ごはん』連載、からのそれが終わって『三時限目は魔女の家庭科』を、1巻のみで終了からの、この『下を向いて歩こう』。それをしつつ、色々違うところで描いている、喫緊では『意味がわかると怖い4コマ』を。という、きらら4コマ漫画家かくあるべし、という生き残り策で頑張っているのです。
 そんな中で、湖西晶先生の作風、というのが当然変化していったのは理解出来るかと思いますが、その変化した作風で、しかしきららナイズドは出来るのか?
 出来る! 出来るのだ!
 というのが『下を向いて歩こう』の基礎知識となります。(なりません)
 茶番はさておき。
 現在のきらら誌において最古参となる湖西晶先生ですが、その作風を古いと感じることはない辺りが本当に非凡です。ちょっとした普通と違うことで繋がる、女の子たち。その部分をビーチコーミングというものでやることで、きららナイズドの中でもまた異色の一作となっているのです。
 そもそもビーチコーミングというので人が繋がるのか? 女の子がきゃいきゃいやるものなのか? という部分を、出来る! 出来るのだ! とする様からして手つきが異常です。ビーチコーミングするような子、という部分で硝子さんの造形と、そこにワンアクション入れるシエルさんの造形、というのが既に極まっています。
 硝子さんは基本的に一人でビーチコーミングしたり、庭の草花を愛でたりする、わりと可愛い一匹狼な感じですが、そこにノー物怖じのシエルさんが組み合わさることで、荘厳回転360(グロリアスレボリューションスリーシックスオー)し始めるのが、この漫画の基本的な筋です。
 後は、ビーチに行って色々拾ったり、シエルさんがノー物怖じですさみんさんと仲良くなったり、ビーチに行って色々拾ったり、硝子さんが庭の草花を愛でたりと、大きな感動は無いけど、小さなことで感を得る。そういう所作でやっていくのです。
 この漫画のつくりからして、大きな感動、というものは初手から排されている、というとちょっと言い過ぎかもしれませんが、でも、大きくてもわりとレアものを拾った、くらいの話なのです。シエルさんは特にそういう引き運がありますが、それでも超値の張る物、というのは得ません。
 ですが、だからこそなのです。女の子が浜辺などでするちょっとしたことで、色々と展開する。この手つきこそ、湖西晶先生の卓越した手腕が見られると言っていいでしょう。逆に、この内容でよく間が持つな!? という驚きすらあります。
 そして、その特に何もない感じをしつつ、間が持つ、という事実こそ、湖西晶先生がきらら4コマ漫画家である、という事実を突きつけてきます。
 現在のきらら本誌で、それ単体で最長なのは三上小又ゆゆ式』です。その手筋、手管の凄さは、あの漫画に波乱要素が一切なく、そして変な会話重視というかそれ一本で推し進めているところですが、それに近い手腕を、『下を向いて歩こう』はかましてきます。きららロートルとすら言える湖西晶先生の、その弛まぬ練磨、ナイズド寄せには、毎度驚かされるばかりです。
 その上で、やはり女の子が特に大きなことはせず、というきららフォーマットの一端も担っていたのだ、という気づきも出てきます。
 『かみさまのいうとおり!』も、マリアさんの下ネタ反応ネタとか基本のボケ要素がありましたが、それ以外ではそんなにこれと言った話をせず、ぬるぬると女の子が可愛い、というのをやっていた訳で、海藍トリコロ』から荒井チェリー三者三葉』と共にその土台を築いてておいて、その延長線上に、かきふらいけいおん!』があり、三上小又ゆゆ式』があり、という史観も勝手に捏造できるくらい、この手の筋は実はお手の物なのではないか、というのが、今の俺の気づきです。
 成程、ナイズドに寄せるのは、むしろお手製なのか。
 さておき。
 そんな訳で、女の子が海岸を漁る。と要約し過ぎるとワッザ!? な内容ながら、しっかりと面々の交流が描かれ、且つビーチコーミングってちょっと面白いんだな、というのが分かる。それ以上を過度には求めない感じの漫画。それが『下を向いて歩こう』なのです。

 『GHOST OF TSUSHIMA』の話だと思う俺はどっちでもいいけどー!!

などと、津田健次郎ボイスで叫びつつ。

 では何をするかというと、
wired.jp
 を読んでむむー、となってツイッターでもりもりやってしまったのを、とりあえず自分用にまとめようという意志力で書いていく頂きとなります。ダイレクトテレショップ!(謎の構え)
 とりあえず初期衝動で書いたのを僕たちバチカンカンフージェネレーションです。通称バチカンです。消してー!リライトしてーー!!していきますが、かなりのドライブ感でお送りしますよってからに。カラダニキヲツケテネ!
 それではいってみましょう。

先手、いちゃもん。

 大衆映画が悪い、つまり大体は娯楽映画が、みたいな意味不明な理屈ってたまにありますが、件の文章もその内である、という判断をしてしまいます。著者のサムライイメージが黒澤明製というか、終盤で黒澤映画のあれやこれや、というのでそこからっぽいのですが、でも黒澤映画もいうてエンタメ、娯楽、つまり大衆映画よりの創りの場合が多い、特にサムライが絡むなら、それは尚の事ではなくて? なんですよね。
 ここが割とポイントだと思います。どういうサムライ観なのか、ですね。
 そのサムライ観というが、この文章からだといまいち判然としません。なんとなくでいいなら、文脈としては正々堂々で無敵なサムライとかおっしゃられています。
 暴れん坊将軍みたいな感じか? 違うか?
 違うな! 文脈からすると黒澤映画のサムライアトモスフィアっぽいですし。つまり『用心棒』の三十郎みたいなタイプでしょうか。
 それと比べると、仁さんはちょっとお卑怯な行動が出来ます。上記のサイトにもあるようにスニーキングできるんですよね。でも、これはしょうがないという流れがある。正攻法で勝てない! というのが出発点なんですよね。それで、手を汚していく、と著者が思うことをする。スニーキング要素もそういう流れでやることになる。というか、始まってわりとすぐにスニーキングしないとクリアできないところでその技術のチュートリアルが為されます。というので、このゲームの基礎の理解がややねじれていると感じました。
 卑怯とか思うけど、そういうゲームだからこれ! というか、三十郎も内憂外患として立ち回ってたから、わりと酷いぞ! それはいいのか! という難癖も付けられようものです。そも<時代劇>ならそういう話、手を汚していくというのは結構あるんですが。

黒澤モードに言いたいことは分かる。

 この辺の黒澤明の思想とかいう部分で、綺麗なおサムライというものに心酔がある、というのも分からなくはない。そして分かりもせず、黒澤モードとか言って、製作者絶対許せねえ! 絶許! となるのもまた分かる。私もそのモード名を見た時は絶許! だったのでそっちよりです。でも、このレビューについては、黒澤明金科玉条と化しすぎてもいるかな、とも思います。確かに偉大で作った映画も超面白い。そういう監督ですが、そこの固執せず、もっと広く、<時代劇>にあたってないのかなあ、と邪推してしまいます。
 実際問題、『GHOST OF TSUSHIMA』は黒澤映画リスペクト、という部分は少なくはなかろうですが、それよりもっと広く<時代劇>に対するリスペクトがある作品です。基本となる殺陣としての動きといい、こちらがやられた後のサツガイのされ方といい、逆にこちらがサツガイした時の相手の倒れ方といい、よく見ておるわ。とまだ<時代劇>勢初等の私でも思うくらいの動きをしています。なので、単純に黒澤映画だけのそれより、広く視座がとられている、という印象です。
 とはいえ、結局のところ著者の<時代劇>リテラシーがどんなものか分からないので、その点に対する論評が正確には難しい。ですが、やっぱり視座がちょっと狭いかな? という印象は持ってしまいます。単に黒澤明言いたいだけじゃないかという気さえしています。穿っていますね?

大衆とか娯楽とか高尚とか。

 その辺のことはさておき、大衆映画、という使い方が、ワッザ!? であるなあ、と。色んなところで言われるように、<時代劇>って基本エンタメのものであるはずなのです。その、大衆の、娯楽の作品であるという点が無視されてないか? と酷く気になるのです。ここの大衆、娯楽、と言っておけば、下げられるだろう。あるいは、黒澤明を挙げておけばこっちが上がる、マウント取れる、という感じに見えてしまう。後、文化盗用の3つで何か言っているスクラムだ! って感じにも思えたり。最後はリスペクトが見えない、の方がいいかもですが、ね。
 ここまで完全な私見ですが、この後も私見です。で、言うのですが、エンタメ、つまり娯楽においては、そのタイプの、文化盗用というのはもっとしていいんじゃないか、すらあると思っています。流石にこれをパクってやったぜ! フーハハハハ! とまで言い切ると振る舞いがあれ過ぎますが、今はミームという便利な言葉があります。
 有体に言うと文化遺伝子、ですね。でもこれ、実際の所パクリですよね? インスパイアとかオマージュ、パスティーシュもそうですが、それは結局パクリなんですよ。でも、元とは違う入力と出力で、近いけど違う形になる。
 それが、文化の在り方としてよい、というのをミームって言葉で有耶無耶にしている。そういうものだと思っています。だから、文化盗用ってのは、本当ならありの世界ではないのか、と思うのです。文化とは混淆するものだ、という視点を持つと、そうなります。
 そういう面からすると、『GHOST OF TSUSHIMA』は、日本産ではない。つまり、文化盗用みたいなやつです。
 だがしかし! まるで全然! 製作陣の時代劇リスペクトはそこらの日本産とは程遠いんだよねえ!
 というレベルで、がっつりと<時代劇>をしているのが、『GHOST OF TSUSHIMA』です。そうです、正しく歴史ものをしているんじゃあない。<時代劇>をしているのです。元寇の辺りの<時代劇>、というのがそう数が多くない中で、その先陣たる対馬を舞台に繰り広げられるオープンワールド<時代劇>。こんなもん、作ってくれただけで有難いでしょう! 日本での<時代劇>の衰退っぷりからすれば、ようやくまことの<時代劇>ゲーに巡り合い申した。レベルです。その後で道場は芝居をするところにござらぬムーブまでしてしまうレベルですよ! こっちの文化としては死に体なのを、他が活かしてくれる。それは、あるいは確かに盗用ですが、しかし、命脈を保つ一助になるなら、それすら許容するのが、大衆娯楽、エンタメってもんです。
 その上であえて言うなら、大衆娯楽である、という部分も、黒澤明映画はもっている。あるいは、それこそメインの部分ですらあります。その部分に惹かれて、西部劇に換骨奪胎した作品もある。でも、そこを否定しないからこそ、ミームは拡散して、埋め込まれ、偶に『GHOST OF TSUSHIMA』みたいに発露する時がある。
 文化盗用って言い方は、ある意味では分かります。その文化をスポイルする、という視点は。とはいえ、その文化を適切に機能させて実益を得る、というのは簡単じゃあない。
 そして大きなゲインがないミームは消えていくだけ、というのも切ない。それについては、結局何が大きなゲインを生むのか、というのが分からない以上避けられないことです。
 それに、大きな文化が小さな文化を食う、という以外にも、小さな文化が大きな文化に乗る、という形もあります。ある部族の説話に、今の文化の物を知ったせいでそれを説話に逆輸入する、という話もありますからね。つまり、どうしても、消えていくものはあるのだ、という覚悟が必要なのです。「覚悟」だッ! 「覚悟」が必要なんだッ!
 話が大幅に逸れましたが、つまり、文化盗用というのは実際は是とされるべきなのでは? という話をしました。それを、錦の御旗とは出来ないのではないか、というのが書きたかったですが、長くなったな。

娯楽とか大衆とか高尚とかのエトセトラ

 しかし、あれですね。娯楽じゃダメなの? 大衆文化じゃ駄目なの? というのが、こういう言説が出るとつと思ってしまうことです。というか、あなたの国は大衆文化として映画がデカい規模な国なんじゃないですか? 『アヴェンジャーズ』の国でしょう? エンタメに力がある国じゃないですか。なのに、なんで大衆文化だと揶揄するんですか? という風に。
 そもそも、なんでこういう風に、つまり高尚文化と大衆娯楽の二分律になっちゃうんだろうか。そこはダイレクトに分割できるとこじゃない、スゴイアワイ世界なんだと思うんですけど、考え違いですか? それに最近は大衆娯楽の中に正しさを、みたいな風潮がありますが、それで高尚、てわけでもないだろうと思うんですよね。その要素のある娯楽でしかないんじゃねえかなあ、と。
 個人的な考えですが、と前置きして言いますが、高尚なのって、最初からそうではなかったのではないか? という風に思っています。長い年月で残ったものを高尚としているだけなのでは? と。で、そのラインにあるものを高尚と引き上げているだけなのでは?
 でも、最初に出た時から、それが高尚だったかというのは大変分かりづらい。分からないはないかもだけど、流石に過去の事なので、100%確実なものがある、とは言いづらいだろう。だから、案外下世話な話が残り続けていくうちに高尚とされるようになる、というのもあるのではないか。『源氏物語』とか、その筋な気もします。

ゲームの可能性ってわけよ

 その点、ゲームは厳しい。まだ生まれて60年もない新興文化です。それに、基本的に映画などに比べて表現力の差がありました。それがどんどんと埋まっていく。現在では相当レベルの映像表現を出来るようになった。それで、昔と今では見た目の大差は歴然としています。
 そして、ゲームはそういう既存表現とは違う側面がある。それが、ゲームとしての部分、つまり遊びとしての部分。小説や漫画、映画でもできない、その中に影響を及ぼすことが出来ることは、まだまだ研鑽されないといけないラインです。
 つまり、ゲームは他の媒体に比べて介入という部分があるゆえに、今だ完成形を見せていません。小説や漫画、映画などは、中身の可能性はともかく、媒体としての可能性は大体終わっている。完成している。
 しかし、ゲームはその、媒体としての可能性が、まだ残されている、と思う、分、ある意味では未完成品と言える状態で、それが我々に供出されている、という状態と言っていい。
 なので、まだまだゲームは過去と現在の差が激しい形になっていく、見た目も内容も。つまり、過去のゲームを高尚としても、実質的には現在のゲームの方が優れている、という状況が続いてしまう。高尚の生みようがない。
 そしてだからこそ、媒体としての可能性はほぼ閉じている他のジャンルとのミームの影響に目が行きがちになる。過去のゲームとの比較は完全に意味を為さないがゆえに、他の、ジャンルとして完成したところと比較せざるを得ない、とされている、状況になる。
 そこで、相手は高尚を持って、過去の完成形をもって攻めてくる、という形になる。それがフェアか? というとどうなのかは、ちょっと分からないです。フェアばかりが攻めてくる訳じゃないし。
 でも、だからこそゲームはまだまだ大衆娯楽なんだなあ、という理解が出来る事でもあります。最新の格ゲーであるスト5CEがっても、今でもスト2やスト3が楽しまれるという、高尚とは違う立ち回りがあるのを考えると、そのままの可能性の獣としてある、というのは、意義があるのかなあ、と思ったり。
 だから、『GHOST OF TSUSHIMA』も、大衆文化としてあるゲームなんです。既存の表現の高尚に引き上げていただく必要は、まだないのではないか。なんて勝手なことを言ってしまいたいところです。

まとめ

 話がぐちゃぐちゃだけどまとめましょう。
 とりあえず、高尚文化の側の文句は基本無視していこうと思いました。というより、やっぱりそういうゲームだから、『GHOST OF TSUSHIMA』! でいいんじゃないの?
 そうですね。

 ネタバレ?感想 おしおしお 『しかのこのこのここしたんたん』1巻

しかのこのこのここしたんたん(1) (少年マガジンエッジコミックス)
しかのこのこのここしたんたん(1) (少年マガジンエッジコミックス)

 大体の内容『おしおしお膳、1200%!』。おしおしおって知ってるかい?昔きららで粋に暴れまわったって言うぜ。という感じにきらら読者、あるいはキューン読者の精神に根深いダメージを残しているおしおしお先生の新作。それが『しかのこのこのここしたんたん』なのです。
 お話としては、脱ヤンして皆に慕われる優等生に! という虎視虎子さんが、鹿の擬人化というかなんというかいやそもそもこいつなんなんだ? な鹿乃子のこさんに元ヤンであることを暴かれそうになり、気が付いたらシカ部の部長になっていました、というもの。
 中抜きほぼしてないのに何言ってんだ感が強過ぎますが、基本的にストーリーは添え物、と覚えておいていただきたい。それがおしおしおに対する行動の最初の一歩です。対策なしに突撃するとタヒにます。たぶん。
 いきなり警告文みたいな導入ですが、それくらいおしおしお先生というのはSAN値を下げてくることに定評があります。とにかくボケのパワーが強過ぎるのです。この1巻でも、飛ばし具合は飛ばしており(重複表現)、三話目で学校の体育館が大爆発しました。
 バトル漫画とかではないのです。萌えギャグ漫画です。でも、のこさんの角を投げたら、体育館が吹っ飛んだのです。とここでいきなり新情報、のこさんは鹿の擬人化みたいなので角があります。それは光ったり爆発したりします。そも着脱可能な時点で我々は何を見せられているのか、というものですが、その着脱も場合によっては頭の5割くらいを持っていきます。
 訳分からないですね? 読後の自分も大概何を見せられたのか分かりませんでしたが、おしおしお先生の漫画とは大体そういうモノなので、覚悟してください。人によっては読む麻薬とまで言うやつですからね。ヤバイですよ。と何度も警告してしまうのもしょうがないと思っていただきたい。
 何故こうもおしおしお先生はヤバヤバのヤバなのか。絵柄相当可愛い系で、表紙の鹿の子のこさんも大変可愛い。でも漫画での登場は鼻水から、というのでもうどういう球だよ! と語気を荒げざるを得ません。球の出所が分からない、というかあるいは審判が投げた……? というくらいの球です。
 この導入からも分かるように、おしおしお先生の漫画というのは壊滅的です。絵柄からのギャップで攻めてくる亜空のボケ。虎子さん以外にツッコミ役がいないがゆえに虎子さんに過大に押し付けられる、そのボケは、なので凶悪としか言いようがありません。シカ部設立の件などは、誰もシカ部という謎部活について突っ込むことなく進む為、気の毒を通り越して、さもありなん、と納得してしまいました。そうなるのよね。
 という風に、この漫画のボケは侵食度が高いです。一話目で鼻水エントリー、三話目で体育館裏で決闘しようとしたら体育館ごと爆破、とされているので、連続して読むと程よくSAN値が下がって、そうなるよね。というそうはならんやろなとこなのに納得してしまうのです。つまり、気を抜くと負けます(何に?)。
 そういう破壊力と浸透力の高い危険な作風のおしおしお先生ですが、きららを抜け、キューンを抜けてマガジンエッジに行ったのは何かの前触れではないか、という気がしてなりません。世の中に、何かヤバイことが起き始めているのではないか? というかこの漫画普通に流通していいのか? 誰か裏から手を回しているのでは? というお気持ちが爆裂します。完全にキバヤシ級錯乱ですが、それくらいのパワーがある。入れ所が間違っている点を除けばよー! な作品。それが『しかのこのこのここしたんたん』なのです。

 不定期な今日の『ゲーミングお嬢様』のワンワードから 第二十七回

感動で目から真空波動ですわ!

この項の説明ッッッ!!

 この項は、作画もついて完全に連載に入った! な、作画・吉緒もこもこ丸まさお:原作・大@nani『ゲーミングお嬢様』のワンワードが分からん人の為ではなく、単純に自己満足、したぜ……。と完全満足する為に書く項となります。それでも参考になったら、多分単なる運です。
 それにしても、二話、かなり変わりまして? って感じで初期に思っていた「この作画の人、大@naniシズムに耐えれまして?」というのが不遜だったと圧倒的に分からされました。無意味昇竜レベルです。
 さておき、それではいってみましょう。

第二十七回「真空波動」

 真空波動とは、真空波動拳のことです。残り拳だけなんだから全部言えよ! 案件ともとられかねませんが、まあ実際なんで真空波動まで言って拳をつけないムーブをするのか、というのは格ゲー用語学会でも議論の的で、特に初心者は初手触ってくる部分ですが、これに関しては明確な答えというのがないのが現状です。真空という場合もありますが、レアリティの高い言葉です。普通の意味の真空と混ざるので、拒否されるというのが有力な説ですが、格ゲーオタが話していて普通の意味に真空に辿り着く可能性はこれ以後の転子様の勝率くらい低いことを鑑みると、これは正当な説とは言えない気もしてきます。
 しかし、言葉のゴロは大変いいのが真空波動です。爾来、七文字というのは日本人には丁度いいということも耳にします。俳句や短歌に7文字の部分があるのがその証左とされますが、それを差っ引いても七文字は大変魅惑な感があります。この辺は日本語の話になり過ぎるので、この項では突っ込みませんが、七文字にはやはり何かあるのではないか。それが畢竟、真空波動という区切りを生んでいるのではないか。そんな戯言を考えてしまいたくなります。
 さて、茶番が長くなりましたが、真空波動拳とは何ぞや。
 それは、ストリートファイターシリーズ不動の人気キャラ、リュウの超必殺技、スーパーコンボのことです。大体画面下方にあるゲージが溜まると使える、という技となっており、真空波動拳は威力が高い大体5ヒットする波動拳と言ったものです。
 この真空波動拳は、以後の格ゲーで一つのマストとなるところがあります。それはコマンドの面です。
 真空波動拳のコマンドは、下、前斜め下、前、下前斜め下、前とパンチボタン、テンキーで表現すると236236Pとなります。これがエポックでした。カプコンに対するもう一つの格ゲーの雄、SNKの超必殺技のコマンドは、その初期のものであるがゆえにわりと素っ頓狂です。わりと簡単なアンディの超裂破弾とかでも真下溜め斜め前下、前にKとかでした。斜め後ろ溜めは受け付けません。
 それに対して、リュウの真空波動拳波動拳コマンド二回、とわりかし分かりやすいものです。スパ2Xでは、他の超必殺技コマンドも今までのコマンドの延長線上で、まあ二回転とかはありましたが、だいぶ簡単であります。
 その中でも真空波動コマンドは分かりやすい部類ですが、それ以上にこのコマンドはベーシックとして以後の超必殺技のコマンドで使われていきます。カプコンゲーは言うに及ばず、SNKゲーでも真空波動コマンドが輸入されますし、後続のメーカーも、例えばアークゲーでも当然のように導入されています。分かりやすく、しかし暴発が少ない優れた設計、と言えるものだからでしょうか。
 さておき。
 しかし、蹴子様の用法は、コマンドとかではなく涙がほとばしる、というイメージで使ってますね。大体5ヒットする涙。爆涙です。それだけ、隆子様が友達いねーぜ! だったんだなあ、というのと、そこの所を蹴子様も気遣っていたんだなあ、というのがあって、わりとエモくあらせられる? ってなりました。仲いいじゃね-か!
 とかなんとか。

 感想 TOもえ 『カノジョと秘密と恋もよう』1巻

カノジョと秘密と恋もよう: 1 (4コマKINGSぱれっとコミックス)
カノジョと秘密と恋もよう: 1 (4コマKINGSぱれっとコミックス)

 大体の内容「そのまま、永遠にいちゃついていてください……」。ぱっと見ギャル系斎藤リナさんと、ぱっと見陰キャ片桐心結さん。二人は、付き合っています。誇張でもなんでもなく。つまり百合! そんな二人のトキメキが詰め込まれているのが、『カノジョと秘密と恋もよう』なのです。
 二人には、実は超能力的なサムシングがあるんですが、どっちも使い方によっては強力なやつ、でありつつも、二人ともそれを基本的に要らねー、としています。更にお互いにその秘密があるのを黙っている、というのがこの漫画のエッセンスとして効いてくるんですが、そこは些事です。使うリスクが極度の筋肉痛程度なのもありますが、そこはやっぱり本筋じゃねえのです。
 どこが本筋か。それはリナさんと心結さんがもう、可愛いという一言に尽きるでしょう。
 常々、TOもえ先生の描くキャラは可愛いなあ! という立場だったりする私ですが、この『カノジョと秘密と恋もよう』でTOもえ先生の描く女の子は一つの極みに到着した、と言って差し支えありません。個人的には顎の稜線が一番好きですが、もうちょっと広くリーチするなら目のラインでしょうか。
 TOもえ先生の描くキャラは、全体的に目力が強い。それも、どういうタイプの目でも、なにか妙な色気というか、惹きつけられるものがある。それだけ、魅力的な目をしているのが、TOもえキャラと言えるのです。
 TOもえ先生が目に、瞳に対して結構センシティブなのは、この漫画だと心結さんの片目が大体前髪で隠れる、のにその髪が透過して瞳をちゃんと描いているという一点から、感じ取れることです。
 ほぼ前髪で隠れるのに、その全てで髪が透過処理で瞳が描かれますし、単行本の背表紙でも、やはり髪を上手く薄くして、目を、瞳をきっちりと描いています。目ガチ勢と言って、さほど問題がない。それくらいのこだわりです。
 で、この目がいいんだわ。比較的漫画目というべきところにありつつも、如何にもリアルにありそうな目の相貌。しっかり描き込まれている目。アイライン、眉毛、まつ毛、瞳。どのコマでも油断なくきっちりと描かれているそれに、もう釘付けですよ。
 まあまて。目に力を入れている漫画家さんはそりゃあ沢山いるでしょう。ですが、個人的に超好きなのがTOもえ先生なんです。漫画目としても瞳としても、という両立を狙わんが如き、気合の入れようにはやっぱり感服するし、それが元となってキャラクターの顔も好きになってしまいます。顔もいいんだわ。さっき書いたように顎の稜線がとてもいいんだわ。あそこに住みたいまである。(落ち着け)
 で、そんな目とか稜線の可愛い子が二人して付き合っているんですよ。目とか稜線の可愛い子が! 付き合っている! 当然、女の子と女の子! 心結さんはちょっとおしゃま系男の子って言われても信じちゃいそうだけど、でも女の子だ! 目とか稜線がいい子二人がカップルなんですよ? ブラボー! おお、ブラボー! と喝采を上げないと気が済みません。百合として上級なのに、更に俺の好きな目とか稜線の子たちが! 行進せよ! 果ての果てまで! って魔将軍・ヘクター顔です。
 やっていることも、他愛もないと言えばそれで済んでしまうことですが、それがいいんだ……。と今度はキッド・ホーラ顔です。地味に暴言を吐いているゲラバ・ゲラバにツッコミも忘れるくらい、そこがいいんだ……。ってなります。特に心結さんの誕生日が明日!? の回の、プレゼントを選んでいくリナさんのわたわたしてたのから、相手のことを想う形になっていくのが堪らなく、いい。
 本当に取るに足りないという言葉で済むことかもしれません。単なるプレゼントではあります。でも、取るに足りない、だからこそだろうがっ!! そういう心の機微をきっちり描いていくのがいいんじゃないですか! それも俺の好きな目と稜線の女の子が、俺の好きな目と稜線の女の子にプレゼントを買ってあげる! パーフェクトってこういうのだろ!
 と錯乱しかけていましたが、俺は、冷静だ(ぐるぐる目)。
 二人の清い付き合いもいい、けど1巻最後の話での、キスしたい、という熱に浮かされてやろうとしてしまうリナさんもまたいい。好きというのが、プラトニックだけでは収まらないという幅がある、というのが分かって超いい。欲情! なんと聞こえの良い言葉か。でも、やっぱり持ち得るものであるし、それが無いというのは嘘になり過ぎる。ちゃんとありますよ? というので百合っくす! まではいかなくても、それくらいは、キスくらいはやっぱりやってもらいたい。そういう心があるのは否定しきれないのです。(ここまで3秒で済ますくらいの早口で)
 いや、だって俺の好きな目と稜線の子たちがちゅっちゅする、って桃源郷でしょう!? 夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢でござるー! って松方弘樹ボイスでリミックスされるくらいに、マジでドンピシャなんですよ!?
 まあ、ちゅっちゅしたところはカットされて、した、という事実のみが残るというのでしたが、その残響だけでも結構やられたので、本当にきっちりちゅっちゅしたら惑わずなんてかなぐり捨てて惑いまくりんぐになることは明白です。いつかみたいので、見せてください! 今見せてくれてもいい!←既に惑っている
 ということで、『カノジョと秘密と恋もよう』はどういう漫画か、さっぱりかもしれませんが、大体は女の子二人がカップルする話、超能力含み、程度の理解でいいと思います。TOもえ先生の瞳にやられたパーソンは間違いなく大丈夫なので、ぜひトライしてみてください! そうでもなくても、良い感じの百合なので、ぜひトライしてみてください!
 というか全人類トライしてみてください! と錯乱しつつエンド。

対ありでした。のワンワードを勝手に解説してみる の5

対ありでした。 ~お嬢さまは格闘ゲームなんてしない~  1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)

最大リターンを取りつつ
 画面端への運びに成功!!!

この項について。グルガン族の男は静かに語った。

 この項は、江島絵里『対ありでした。~お嬢様~は格闘ゲームなんてしない~』の補助線という立ち位置を勝手に得ようというクソタレ頭の悪い目論見でやる項になります。
 格ゲーの用語は、その深度ゆえにぱっと見理解不能なところがあるので、そこをカカッと解説する手はあるかと思ったのです。
 という、この項の成り立ちもそこそこに、今回のワンワード解説いってみましょう。

第五回「最大リターン」

 最大リターンとは、その時の最大ダメージのことです。リターンのところにルビでダメージ、とあるように、大体はダメージ量の大きい行動についていう言葉となっています。
 しかし、これについてはワンクッションあります、先に書いたように、その時、というワンクッションが。
 格ゲーはダメージを与えていくゲームであり、それに対してコンボという仕組みも出来て、そこに最大ダメージコンボ、というのもある、あるいは即死コンボというのすらあります、訳ですが、しかし、常にそのキャラが持つ最大ダメージのコンボというのは入れられません。即死級超威力ともなると、出来るお膳立てが色々必要になるからです。
 格ゲーも昔からかなり進歩し、色々なシステムが組み込まれています。大ダメージを与えるなら、それらを使わないといけなくなります。
 それらを総動員するだけでも大変ですが、これに画面端限定やカウンター限定などの状況限定をしていって、初めてそのキャラの最大ダメージコンボ、というのは成立するのです。
 逆に言うと、状況によっては、それよりも安い、威力の低いコンボしかできないということでもあります。この、ある状況におけるコンボでの最大ダメージこそ、最大リターンということになるのです。常にそのキャラのフルポテンシャルのコンボ、というのは早々狙えないものだと覚えておいてください。
 で、使われた部分での最大リターンは、白百合さまのキャラのダッシュに低リスクのコパン、つまりしゃがみ弱パンチを狙って当ててからのコンボ、となります。このコンボ、実際安いと思います。
 というのも、当てやすい小技からのコンボ、というのはダメージが減衰していく率が高く設定されているのが常だからです。これをコンボ補正というのですが、これについては注釈を確認して頂くとして*1、ここでもっと大きいゲインは狙えたのでは? という疑問もあるかもしれません。
 しかし、ここの理路としては、まず相手が飛び道具を撃ってくるかもしれない、というのがあるのです。フェイントからのダッシュは確度は高い、けど常にそればかり狙ってくる訳でもない。
 こういう時に、リスクとリターンを計れば、中攻撃などの隙のある技は、飛び道具が刺さる、つまり当たる可能性があって少しばかりリスクの方が高い。且つ、コパンを差し込むなら、ある程度相手のダッシュを見てからでも可能である、という綾さんのプレイスキルもあっての選択ではないだろうか、と言っておきたいところです。
 つまり、隙が少ないから読みが外れてもリスクは少なく、その上である程度予断のあるところに置いておける。そういうコパンからの、最大のリターン、コパン中強ゴアスティンガー、となったというシーンな訳です。
 このシーンからは、綾さんの上手さがしっかり描写されているのが分かる、というのは、上記の通り。相手のダッシュを刺すコパンを、きっちり読み通りにしていますからね。ゲージが溜まったらフェイントを入れてくる、というまで読み切って、そこでここ! ときっちり最少リスクのコパンを置く。そしてそこからの最大リターンを取る。
 というか書いてて思いましたがやっぱり綾さんマジうめえですね……。最少リスクだったとはいえ、きっちりコパン刺せてるし、読み通りとしても焦らずコンボもミスってない。熟練とはこういうのを言うんですね……。
 とかなんとか。

*1:コンボ補正は、コンボを入れていくと、どんどん攻撃の元の攻撃力が減っていく、というシステムです。それも、リスクの少ない攻撃はより減衰する、という風になっています。格ゲー初期は元の威力がそのまま当たっていましたが、ほぼそのままの威力でチェーンコンボ出来た『ヴァンパイア』辺りからこのままじゃいかんね。となって、実装されていったという認識があります。うろ覚えなのであれですが、とにかく、『ヴァンパイア』のチェーンコンボは超減るので、ヴァンパイアの動画とか見て減り過ぎ! って言ったらいいと思います。後、『鉄拳』初代も超簡単に即死コンボ持っていけるので、それらを見ると補正やむなし、となると思います。そういう、超威力に対する回答として、積み重ねから生み出されたのがコンボ補正なのです。

 今月のまんがタイムきららチェックポイント(2020年8月号)

先に総評

 きらら本誌、まっことよろしくなり申した……。というくらいには、最近のきらら本誌はよいと感じる所が多いです。その最良はやはり、大熊らすこ『星屑テレパス
 などと、その気になっていたお前の姿はお笑いだったぜ。
 というくらいには、ワタシはTYONE『謎のリリリス』ファンです。勿論、ファナティックの方面で。これを盛り立てるのが、我が人生とまで錯乱しています。リリリスバンザイ!
 そういう冗談はさておき、この一年で加入したのは際物が多いものの、元々本誌がある程度ノーマルなやつが多かったのもあり、そこに彩として際物が加入し、バランスが大変良くなった。と私は勝手に思っています。このバランスを今後も維持できれば、その内超当たりもでてくるのでは? などとその気になっています。『星屑テレパス』越えのが出てくるもあり得ますよ……!
 とはいえ、この安定めの誌面も、MIGCHIP『みらいちゃんねる』の来月最終回や、みんとる『ゆえにアイドル革命!』の終了間近感もあり、また激動の時代を迎えるのかもしれない。そう思う吉宗であった。

個別チェック三連弾

  • 篤見唯子スロウスタート
    • 花名さんの渾身ギャグ、堪能させていただいた……。さておき、浪人がバレたけど、この子らならそこは問題ないよね、というのがしっかりと出た回でした。熱が出るまでの状態になるくらい、花名さんにはデカいことを、でも皆さんはゆったり包んであげている。花名さんはよい友人を持たれた……。拙者、それだけで満足致したでござるよ……。
  • ルッチーフ『奥さまは新妻ちゃん』
    • また新たに、新婚さんが! ということで前回の引きからのホラー路線では当然なかったのですが、噂とは尾ひれはひれつくものだなあ、と妙な納得をしてしまいました。ホラーみたいな登場だった新たな新婚さん、月野夜子さんは、フードっ子、というか時期的にフード被ったままって熱いでしょう? なんですが、引っ込み思案ゆえというのでまた妙な納得が。あ、俺フードっ子好きだわ。といきなりの気づきもありましたが、どうでもいいですね?
  • TYONE『謎のリリリス
    • 前回の引きで、誰かが、それも敵対者がやってくる! という話をちゃんと続けた今回ですが、出てきたどう考えても普通の人じゃない人(?)が勝手に勘違いして帰っていくという亜空の展開からの、猫がスパイ、という話になってなんてこったい! な回となりました。ちょっとミステリアスだったゆいゆいさんが猫好きとわかったり、本当にその猫がスパイというか、リリリスの敵対者だったりと、ホントもう、好き!

今月のワンワード

伝説の
 金属探知機

  • JKが買うものなんですかねえ……。でしたが、ビーチコーミングに金属探知機を出して来たらもう、戦争だろうが……ッッ!! な気もしなくはないです。行きつく先に行きついてしまったというか。まあ、金属以外も多いものだからいいのか。