過去は口ほどにものを言う

さてさて。 人が他人を評価するうえで一番大きなウェイトを誇るもの、それは知性や人柄といったものではありません。 過去です。
喩えばそれは「財」という形で現れます。 過去のお金、資金運用などの仕方が「財」として現れます。
喩えばそれは「評価」という形で現れます。 過去に付き合ってきた人たちからの評判――もちろんお金をつかって買った評判も含みます――が積み重なって「人徳」という「評価」の形として現れます。
喩えばそれは「地位」という形で現れます。 過去の働きや功績――これも評判と同様にお金と交換可能――によって「地位」という形として現れます。
かように、人は過去を重んじ、過去によって人を判断します。 最近のいい例は野球チームを作りたかったり、ラジオ局を欲しがった人です。 もしあの人の過去に膨大な実績、喩えば瀕死の車の会社を立て直したり、日本一の家電会社を築き上げたりした過去があれば、おそらくだれも彼の行動に異を唱える事なんて無かったでしょう。 彼が少々強引に見えたとしても、「若手の旗手、次なる一手は!」という風にいわれた事でしょう。
かように、人は人の過去に敏感であり、弱かったり叩ける所があれば大手をふってぶん殴りにいくのであります。 そして、それが全く正しい事のように振舞うのです。 いや、正しいと思うからこそ殴りにいくのでしょう。
ああ、そんな最低な人間の一人なのかと思うと頭がぐらんぐらんします。