結果は“同じ物”です。
何を比べたか言ってませんね。
比べたのは「ビルを殺れ!」と「まとりっくす」です。
この二つは、
「オタクが己のオタ魂(コン)を爆裂四散させて満足しきり」
という一点では全く同じ物です。
この点から考えれば、二つの違いは創り手が摂取したものの違いでしかないという事ですね。
この二つを比べるのは根本的に不毛なのかもしれません。
余談ながら、
上記の点で比べるなら、オタ魂が入る余地数多であるのにそのケが全く0の監督が創った「フレディ対ジェイソン」が、比較対象としてもっとも適任だと思いますが、そもそもこんな比較で考えるやつなんていないよな。
「諦めは人を殺す」という教訓ですね。(無理な決着)
困った
西尾の維新の人の新作に、全く興味がなくなったんですがどうしましょうか。
ちょっと前の「サイコロジカル」からこっち、西尾の維新の人が、どんどんどんどんどんと別にどうでもよくなってきてるんですが、「ヒトクイマジカル」で決定的になったようです。
一応読めるには読めると思うんですよ、嫌いになったわけではないというか元から私の好き嫌い軸には載っていなかったから、出来不出来の評価のみで読んでいましたから。*1
その評価軸もとうとう中心の「どうでもいい」に行き着いてしまったようです。
もう、読んでいて今にも「釣れますた!」言われそうな部分を流すのに、飽きたのかもしれません。
前作「ヒトクイ」の「大きな物語」(笑った)とか「コント赤信号*2の青の人」の言動とかおそらく遠くない巻で逝去すると思うみいこさんの所とか、いかにも釣りたそうにしているように見えてなんだかなー、でしたからね。
今現在ちょっと成長物語っぽくなってるのですけれど、そしてそれはそれでいいのですけれど、釣りたそうに見えるせいで、それがどうしても「大オチでカタストロフ」の為の仕込みにしか見えなくなってきたんですけど、誰か私を解毒してください。
余談ながら、私の西尾維新氏への評価は、
「悪意はないけど故意はある秀才」
という事に、今なりました。