だるめ試案

気を抜くとやっぱり昼まで寝てしまう、お薬38日目。 最近は文章が迷走状態で、私としては楽しいけれど読んでる人はどうなんだろうとも思わないでもない昨今でありますが、基本としては書いたものが「ネット上」を漂いさすらう様をみるのと、自分の思考にできるだけ忠実な文章が書ければよいので私としては楽しいですけれども、他人が気にならないといえば嘘になるわけで、つまり漂わせた文章がどうとられるのかのも楽しみの一つな訳ですから、読んでる人はどうなんだろうとも思わないでもない昨今でありますが、私としては「書いている」事の楽しさが第一義なわけで、それに対する反応は付随する楽しみでしかないけれど、しかし確かにある楽しみである以上はそれも追求したいわけで、やはり読んでる人はどうなんだろうとも思わないでもない昨今でありますが、「思い(中略)にちゅう(中略)じつにか(中略)くといい(中略)だろう(後略)。」と誰かが言っていたような気がするので、やはり「書いている」事を楽しむのが一番である事に間違いは無いのだけれども、しかし「読まれない文章」というのはつまり存在していない事と同義であるからして、やっぱり読んでいる人はどうなんだろうとも思わないでもない昨今でありますが、書いてて楽しければそれでいいというのが、書く上での重要なポイントでありますのでそれに忠実であろうとするのはよい事なのだと思いますが、それが高じて読んでいる人が困惑するような文章を書くのは、読んでいる人にとってはどうなんだろうとも思わないでもない昨今でありますが、結局何がいいたいかというと、こんな文章を書いて人を煙に巻いてみようという私の目論見に対して、読んでいる人はどうなんだろうとも思わないでもない昨今であります。

 理由の説明

何で上の文章がとち狂っているかというと、また一つアンテナからはずされたので、その嬉しさとほんの少しの悲しさから書き上げてみたわけです。 後は、私がここでどうしたいのかを考えてみたという部分もありますが、堂々巡りになったのでこうなりました。

 絵から入る

まいじゃーさんの所から思考を開始します。
まず、我々が本を見たときに最初に飛び込んでくるものとは何か! 第一種接近遭遇は何によってなされるのか! 
目だ! 視覚だ! ならば、ならばだよ? 視覚的にキャッチーである事! それは重要な事じゃないのか?! 重要じゃないのか!
クールダウンしてさておき。
問題は、その人の視覚とってその映像が「キャッチー」なのか「キモッ!」なのかであります。 この辺にある種の線引きがあるんでしょうが*1、それは年々変化、多様化してきているのは、私が長年本屋さんをめくるめいた限りでは確かな事です。 これは流行り廃りがあるにしても種類は確実に増えているんで、今後もどんどんと「文芸」方面のイラスト、表紙は変化していくに違いありません。 いずれは「ライトノベル」といわれる方面でも写真を使ったものがでてくるかもしれないし、「文芸」におもいっきった絵を使ってくる事もあるでしょう。 それはそれで楽しみですね。
それと、装丁面。 出版不況が叫ばれる昨今ですが、それゆえに「一冊の本」へかける情熱、とでも言いましょうか、そういう気合の入った本創りが始まっていると思います。 その先鞭ともいえる電撃文庫はいうにおよばず、それに追従するそのほかのレーベル、特にファミ通文庫とかは結構いいものがあったりしますし、ハヤカワ文庫のような老舗でも田中啓文蹴りたい田中』みたいな見事な「一冊」を作って来てもいるので、今後しばらくは過渡期のいかがわしさ漂う状況でたくさんの実験的な「一冊」が創られていくでしょう。 これまた楽しみですね。 いやあ良い時代に生まれたもんだ。
さてさて話し河って。
私のライトノベルの入り口は、絵買いからでした。 読むのは学校の図書館で人が読んでいるってので入りましたが、購入に関しては完全に絵買いから入りました。 確か冴木忍「<卵王子>カイルロッドの苦難」だったか? あれで片足突っ込んで、色々買ったり、目録を見て「魔術師オーフェンはぐれ旅」を取り寄せてもらったり、そこの本屋がつぶれて変わりに出来たブックオフで「パンツァーポリス1935」を買って。 で、気が付いたら完全に深みにはまったんだよなあ。 ジオブリーダーズにもそのブックオフであったわけだし、あの土地は自分にとっては恩地とでもいうべき場所だなあ。 と自分語りで以上。

*1:年齢が下るにつれて、受容出来る絵が変わっていっているのは間違いない。