漫画感想がなんとなく書けない

上手く感想が書ける状況が醸成されていない

 という面倒くさがりはさておき、『劇光仮面』5巻の感想とか書きたいのですが、なんか上手く言葉が出てこない。基本的にどこに向かうという部分が全く未明なまま、どうする!  
 そういうのだけが積み重なっている感じの漫画なので、場当たり的というと言葉が違うんですが、とにかくこの一瞬に賭ける! みたいなアトモスフィアが漂っています。
 この辺の、基本として何をする漫画なのか、という部分が、4巻ではとうとう! と思ったら5巻で一気にガジェットが終劇に着地してしまいました。だから何かしらの組織の関与はありそうなんだけど、それが明確に前に出てこない。そういうので余計にどこへ向かっているのか、という部分がはっきりせず、そこがもにょるところだな、と思ったりするのです。
 この辺は山口先生のライブ感というか、瞬瞬必生というか、とにかく俺はやるぜ俺はやるぜ、というのが前に出まくっていて、後のことは特に考えてないというムーブに見えるものです。『シグルイ』でも結局蝦蟇剣法の話は本筋と関係なくなって、じゃあなんだったんだよあれ! だったり、『衛府の七忍』のぶった切りエンドだったりと、山口貴由ワンマンライブの会場が連載されている漫画なのでは、という謎の感想すら出てきます。それくらい、今のこの一瞬! という漫画の描き方しているのが山口先生なんだろうなあ、とか。
 なんかいつもの体裁を取らない方が書けるな、感想。これを混ぜつつ、もうちょい違う側面からまた書いてみよう。

デッキ作りが楽ちい、という話

 この一か月ほど、『シャドウバース』のネタデッキを制作して遊ぶというのが個人的に大ハマりしています。スト6を放置してまでやっているので、いかに楽しいか、というのが分かろうものです。
 7月くらいから『シャドウバースワールドビヨンド』、つまりシャドバWBが始まる模様な訳ですが、そこに今のシャドバのカードは移送できないのではないか、というのが大方の見方です。全く新しくなるなら、過去は振り捨ててしまうのが正しい動き。そもそも同じやつが使えるというなら、シャドバの新カードはないけど、対戦環境は残す、というのと競合してしまいます。
 つまり、カード資産が生かせるということはない。と、見ていいでしょう。
 なら半ば消えていくシャドバを今楽しんで何が悪いんだ、という謎の判官贔屓が発動するのです。対戦できる環境は残る、とはいえ、人口はどんどん減っていくだろう。その対戦環境もいつ打ち切られるか分からない。そういうどん詰まりともいえるそんな時、だからこそだろうがっ。ってコミックマスターJさんも言ってた(その意図では言ってない)。
 ということで、カードプールも確定した今、ネタとして作ってみたかった、特定カード中心のデッキをメインに、カカッとデッキを作っている訳です。
 これが法外に楽しい。もはや脱法ドラッグです。言いすぎましたが、とりあえず魔剤くらいにはテンションが高まります。
 昔一瞬輝いたけど今は既に忘れられたカードを使えないかと考えたり、この勝利条件満たすのどうすりゃいいの? というやつをどうにかしようと画策したり。誰かやっているかもなんですが、それでも自分で考えて形にするのは大変楽しい。こういうのこそ、そんな時、だからこそだろうがっ、なんでしょう。『コミックマスターJ』には人生の機微がガンガンに詰まっていますね。
 さておき。
 対戦はせんの? というのは今はしない、今はな! という冗談はさておき、対戦自体に興味が無いのです。そもそもCPUと戯れるだけでも十分に楽しい。こちらの我欲を強引に押し通すだけなので、デッキパワーがそこまでないデッキが多い。まだ改善の余地があるにしても、対戦でお出しできるものではないな、というのが正解でしょう。やりたいことを押し通して勝つだけなら、CPUを相手にしてた方が楽しいのです。勝てるデッキではなく勝ち筋が通ることが楽しいのを確認するデッキ、という方がいいでしょうか。
 なので、動かして楽しいデッキを目指して、楽しんでいるという訳です。まあ、無駄なんですが、やっぱりだからこそだろうがっ。なんですよ。
 さて、また考えついたデッキ案を形にするか。
 とかなんとか。