悪影響

雄叫びをあげて起きたせいなのか、気分が沈む事沈む事。 心底から欲が薄れているのが分かる。 これは非常にまずい。 というのは、生きているという事は大体欲がある事と不可分であるからである。 私はあれが欲しい、これがしたという欲の元は、「生きていたい」という根源的な欲求であると感じているのだが、私のいまの状態は、限りなく何もいらないという無欲な状態のなのである。 唯一「書きたい」と「読みたい」位はあり、今それを実行しているのであるけれども、それはちょっと思考を切り替えれば瞬時にどうでも良くなる事を私は知っている。 知ってしまっている。 これを書いている時もときどきその欲求が切れてしまって結構時間がかかってしまっていたりする。
さあ困った。
分かりにくいたとえを出すと「アカギ」、じゃねえな「天」でのアカギの安楽死問題に近いというか。 せいに対する欲求が100中の3程度まで落ち込んでいるというやつだ。 どうも私は恒常的ではないにせよ、その境地にたどり着けるようになってしまったのである。 ここにそれを記述するのを解禁――書き始め当初から自粛していた――したのも、落ち込みすぎる心の藁としての効果を期待してである。 単にだれかに慰められたいのかもしれないが、それは正直分からない。 何を言われても死ぬ時はあっさりと何も書かずに消えるであろうなあとは思う。
さあ困った。
単に他人に同情されたいのだろうか? 罵倒してもらいたいのだろうか? 助けてもらいたいのだろうか? どれでもなく、ただ己で己を助ける意味で書いているつもりではある。 文章によるG行為である。 それくらいしかしたいと思わない。
さあ困った。
ここまで落ち込むのは、自分のかんしゃくな性格がこの5〜6年になって急激に危険になってきたからである。
またわかりにくいたとえをだすと「クライベイビー・サクラ」な状態というか。 気を抜くとすぐに殺意というものが出てきてしまう。 これが本気の殺意なのかどうかは分からない。 しかしギリギリで踏みとどまっている感は常にある。 そして踏み出しそうである事も。 このせいで「公共の場所」、「公共交通機関」というものを利用するのがひどく苦しい。 図書館で騒ぐ子供を文字通りに締めたくなるし、電車で変な事をしているバカを撲殺したくなるし、歩きタバコをしている奴一人残らず指をへし折りたくなるし、万引き犯なんて両腕を実際に切り落としたいとも思う。 一応思うだけだけれども、いつもいつも実行したくて仕方が無い。 そういう自分がたまらなく恐ろしい。 してしまいそうなのが恐ろしい。 そしてその恐怖から、それならいっそ自分が死ぬべきであると思うのだ。
さあ困った。
これが意外と長年続いてしまっていて、実行に移された事は他人に対して一度、目玉をくりぬいてやろうとした事があるし、自分に対しては頻繁に自傷したり自殺を考えて心を静めている事がある。 この自殺を考える時に本やゲームなどいろんなものが気になる頃があったのだが、続けるうちに全く気にならなくなる事が分かってしまったのである。 これゆえに、落ち込むと生活すべてが危険になった。 すぐにその場にあるもので死を選ぼうとするのだ。 死ぬのは簡単である。 コンセントにヘアピンを突っ込んでもいいし、風呂を満たして手首を切ってしまっても良い。 ただ痛めつけるなら目の前にあるボールペンで目を貫いてやればいいし、安直に腕に噛み付いてもいいのである。
さあ困った。
このかんしゃくとどうでもよくなる事のせいで何度もアルバイトをやめている。 そのせいか最近はちゃんとできるのだろうかと不安になる。 ちゃんとずる休まずに仕事できるのか? ちゃんと人を傷つけずに仕事できるのか? 自分には忍耐力なんて備わってなくて、そのせいでちゃんと仕事ができないと思う。 そのせいでどんどん不安になる。 生きていけないと思う。 あんじょう、世の中は働け働けという。 でも恐ろしい。 客を殴らないだろうか? 傷付けないだろうか? 殺さないだろうか? 突然自分の頭を殴りださないだろうか? 指を噛み千切りだそうとしないだろうか? 意味も無くずる休みしたりしないだろうか? それら全てが不安であるが、何もしないのも不安で、デモ何もできない気がするのである。 堂々巡り。 そして働け働けと世の中は言う。 ニート=社会のごみとして言説を発する。 そうなのかと思うし、そうだろうとも思う。 いろいろ言いたい事はある。 お前の画一な考え以上の色々な事態があるんだと髪の毛をつかんで振り回して黒板に叩きつけてやりたい。 あああのくそ教師が! 確かにお前はたくさん食べるのかもしれないけれど、餓鬼邪念だから限度を知れ! それでがつがつ怒られたのを思い出して殺したくなってきた。 昔からどうも生きている理由が憎しみでしかなかったような覚えが出てきた。 その憎しみが薄くなったのかな? いやまだ全然ある。 ただそれがいけないことであるという事実に絶望があるだけだ。 この恨みは晴らせないのだ。 何たる事であろうか
さあ困った。
やや脇にそれた。 さておきだからどうしようもなく、生きていく事に対して希薄な思いを抱くのだろうか? ちょっと気に食わない事があると自傷しだす気が違えたやつが、何かして、気に食わなくて切れて、傷つけるのだろうか。 ああ。 自殺したくてできなくて、人を殺した奴の気持ちが分かるような気がする。 これも「人の気持ちをかんがえなさい」という事の結果のひとつである。 世の中は認めないけれども、私においては事実である。 結局、世の中の論理に合うように気持ちを考えなさいという事なのだ。 それができない自分はどうすればいいのだろう。 人を殺して自殺する人の気持ちが分かるという自分はどうすればいいのだろう。 殺す前に死ぬしかないのか?
さあ困った

何が悲しくてこんな事を日記に書いちゃったんだろうなあ。 一応反転仕様に変更。 生を見た人はご愁傷様です。