快楽

割とのんきに修羅場を行えている事にびっくりする。 いままで、己の中で一番の快楽は「思考する」だった。
奇想理想妄想構想連想幻想。
あまねく全ての想いを組み合わせ打ちこわし混ざり合わせ分解しこねて伸ばしてたたんで開いて鍋で煮込んで冷所で冷やして。
その過程で浮かび上がる真実現実事実幻実酩実迷実を繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し反芻して咀嚼して、なにかに辿り着くまでの行程の生み出す快楽は、この世の物であることが不思議なくらいの強さと持続性をもっている。
この快楽とそれゆえの地獄とが、己の求める最大の物であると思っていた。
そう。 思っていた。
今ここに違う形の快楽を得ている自分がいる。 「思考」より違う強さの、そして勝るとも劣らない持続性。
死ぬまでの間、ずーッとずーっと、この快楽を浴び続けられるのなら、それが如何な地獄であろうとも、浴び続ける事を選ぶだろう。
また狂った生きがいを感じるようになってしまった。 だが、この快楽に幾人もの先人が溺れ、それに生涯をかけた理由が、勘違いだろうけど分かった気がする。
ああ。