むー・・・ むあ?

朝の四時がこんなに明るかったっけ? なお薬3日目。
昼だぞ、わし。 「確か五時におきたから、えー、時間が巻き戻った?」とかそういうのは勘違いだからな。
とにもかくにも。
おととい昨日今日と、眠剤の調整中だからなのか「ねむいーねむいー うはははは」みたいな気分で勢い良く眠り続けて早三日。 うーつな不調も少しはましになってきたようで、ということは眠りが浅かったのが原因なのか、なる今日この頃だったり来たり戻ったり。 それ以上に「何も考えずにボーッ」が出来るようなってきたほうが大きいかも。
むぅ、やっぱりあの修羅が直接的な原因か? あの期間、脳みそが休まっている感じが無かったからなあ。 そうとは知らずにかなり無理をしてたのかも。
そして気が付くと4月ももう半ば。 「ライトノベル・ファンパーティー」用にこれは読んでおかないと、ってやつほど読んでない所に積まれてると言う事態が、地味にボディーに来ます。
その事から少し想像を逞しくすると、「読む」と「書く」――「インプット」と「アウトプット」といってもいいでしょう――というのは時間の使い方として、ほぼ完全に入れ替えが可能な要件であるといえます。 つまるところ、読むに徹すれば書く暇は無く、書くに傾倒すれば読む事あたわずという事でしょうか。
ここのバランスの取り方が、その人のひととなり――属性?――を現すのかもしれない。 どう読み取り、どこに書き表すか、と言う事かな。
で、オタがオタであるゆえんは、この「読む」と「書く」がほぼ同じ枠内で行われると言う事があるかもしれない。 まあ、枠がどんどんと広がっているんで偶然枠に入ったって事もあるだろうけど。
ん? なんとなく『「オタ外」のものをオタが「オタ内」にする』という言葉が消えては浮かび、浮かんでは消え・・・。 オタによってありとあらゆる物がオタとかしていく。 その逆っていうのはあるのか、ないのか?
うむ。 さっぱりわけがわからん。