『封仙娘娘追宝録9 刃を砕く復讐者』(ISBN:4829117591)

ろくごまるにひさいちよしき富士見ファンタジア文庫:560円>
ネタバレ全開なので反転でいきます。

今回、とうとう殷雷への復讐に燃える轟武剣が動き出しはじめます。 その一方で和穂達は殷雷の崩壊を防ぐ為に、近くにあるという砥石の宝具を探しに行ったらいつものように宝具がらみの面倒事に巻き込まれます。
で、いつものようにそれをどうにかする、と思っている読者は、じきに「あれ、でも尺足りなくない?」という事に戸惑わされます。 これじゃあ轟武の出番あるのか? とか思っているうちにそれでもあれよあれよと事態は進展。 そこにちまちまと組み込まれる伏線が張られていたりするわけですが、それが一体どういう意味を持つのか明示されないまま、やっぱり事態はさらに進展。 そしてさあ面倒事決着、という段になって初めて、とんでもない大うっちゃりをかまされます。 ここで今まで張られていたけど気が付かなかったような伏線が一気に収束。 そして話は壮絶なラストへと流れていきます。
恐ろしい…。 はっきりと恐ろしいです。 余りに恐ろしくて小説読むのが怖くなるくらい恐ろしかったです。 つか田口仙年堂「コッペとBB団」がなかったらしばらく立ち直れなかったかもしれません。 「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」「さよなら妖精」あたりは目じゃありませんよ、この崩壊感。 私にとっては冴木忍「<卵王子>カイルロッドの苦難」の6巻位ですね、ためはれるのは。 人によっては「星の大地」かもしれません。 それくらいの崩壊感です。 ろくごまるにの特徴である「一話でキャラの立つ、キャラ立ての上手さ」を今回の登場キャラ遺憾なく発揮しておいて、それを文字通り、砂のように霧散させてしまう恐ろしさ。
しかし。 しかしですよ。 ろくごまるにという作家が本当に、本当に恐ろしいのは、これすら「後に続く話」の為の前ふりでしかなく、こうすることによって読者が「続きが読みたくて読みたくてしかたがない!」という状態に追い込めると踏んで書いている事です。
たとえば、上巻での伏線を何ひとつ使ってない事。 たとえば、いままででは考えられなかった、短編のキャラ(導果先生と深霜刀)の登場。 たとえば、『破片にうつるもの』の存在(=殷雷がまだ修復可能かもしれない事。 梨乱に真鋼を渡したネタがここで生かされそうな…)。 これらによって、「この話が以後も続く」という事を明示しているわけです。 それなのにあの終わり方! 「砂糖菓子の弾丸は貫けない」も「さよなら妖精」も、そこで終わる事にある意味救いがあります。 もう後は続かない。 続きを待つ必要が無いのです。 続きを待たなくてもいいのです。 その点、「刃を砕く復讐者」は、続くのです。 これから読者は「大丈夫なのか? いやもしかして駄目なのかも…」という鬱屈を、いつでるかわからない次の巻まで持ち続けなくてはならない。 なんたる業の深さか! 一種のいやがらせか?!「違うだろ」
6年待って、この仕打ち…。 次は早く出て欲しいです。 マジで。
さておき。
私にとって大大大好きな「導果筆」こと導果先生がばりばりに活躍してたので個人的にはたまらない今作ですが、その導果先生が轟武に対して言った「踝の怪我か。踝ねぇ。踝とは。……きみは本当に哀れだねぇ」って台詞、意味があったのかなぁと考えてみたり。 実質効果としてはアレは読者単なるフェイクだったわけですけれど、なんかそれだけじゃないなあと。
轟武はそれを「殷雷にやられた」と言ってましたけど、意図して残した胸の傷以外は再生するはず。 なのに踝の傷は残っている。 何故だろう? と考えましたら、轟武が破壊した双剣である結舞剣を思い出しました。 轟武と結舞は双剣を意図して作られたわけで、しかも下巻では「お互いのいる場所がわかる」という話も出てきます。 つまりどこかで繋がっていたわけです。 それが「踝」だったのではないか? そしてその結舞は轟武によって砕かれてしまったゆえに、その「踝」の傷は再生しない。 その事に気づいていない轟武に、導果先生は「本当に哀れ」だと口にしたのではないか? まあ、真相は藪の中ですが。
まあ言いたいことはいいました。 後はすぐにでも続きが出てくれる事ですね。 あー、まじで次五年後とか言わないでくれーー。